久遠乃愛は、春の光がまぶしいある日の午後、大学のキャンパスを歩いていた。彼女の黒髪は風に揺れ、まるで周囲の緑と一体化するかのように優雅だ。文学を専攻する彼女は、心理学や論理学にも興味を持つため、常に思考を巡らせる習慣が身についている。
「乃愛ちゃん、こっちこっち!」
突然、彼女に向けて手を振る明るい声がした。振り向くと、茶髪のボブカットが特徴の幼馴染・雪村彩音が駆け寄ってくる。彩音は明るく社交的で、その天真爛漫な性格は周囲を和ませる。
「どうしたの、彩音さん?」
乃愛は冷静に首を傾げる。彩音はいつになく興奮気味で、まるで何かを報告したくてたまらない様子だ。
「今日、サークルの合宿の準備をしてたら、ちょっと変なことが起きたの。鍵がなくなっちゃったんだよ。みんな焦ってる」
彩音の言葉に、乃愛は心が躍るのを感じた。彼女は趣味で探偵をしており、また新たな事件が舞い込んできたのだ。普段は冷静だが、事件が絡むと少しだけ興奮する自分がいる。
「それは大変ですわね。どこでなくしたのか、聞いてもよろしいでしょうか?」
「掲示板の前で、昼食を取った後に気づいたの」
「昼食ですか……」
乃愛は考え込みながら、既に犯人を絞り込むための情報を思い描いていた。サークルの合宿は、大学の掲示板前で行われることが多い。そこでの昼食は、多くの人が関わるため、もしかすると何か手がかりがあるかもしれない。
「それじゃあ、早速現場に行きましょう」
乃愛は彩音を促し、二人は掲示板の場所へ急いだ。
掲示板の周りは活気に満ちていた。サークルのメンバーたちがざわめきながら、パニック色を帯びている様子だ。乃愛はその様子を冷静に観察しながら、芝生に置かれたトートバッグの中を探ってみた。
「乃愛ちゃん、これ、何か食べかけのパンが落ちてるよ」
彩音の声が響く。
「それは重要な手がかりかもしれませんわ」
乃愛は即座にパンに目を向けた。パンの色や形、食べかけの大きさまでも観察する。お昼に食べたものでないだろうか。日付を考えられると、パンの持ち主がわかるかもしれない。
「このパン、今日本室にもあった気がする」
と彩音が続ける。
乃愛は頷く。サークルの合宿では、いつも同じ食材を用意する傾向がある。そのため、このパンがサークルのメンバーに属する可能性が高い。
「まずは、サークルのメンバー全員に話を聞いてみましょう」
乃愛は言った。彩音は彼女の言葉に同意し、二人は相談役のサークルリーダーのもとへと向かう。
サークルリーダーの田中さんは、心なしか不安そうだった。乃愛の推理を進めるためにも、彼女が知っていることを全て話してもらう必要がある。
「田中さん、合宿中に鍵がなくなったことについて、何か心当たりはありませんか?」
田中は少し驚きつつも、
「実は、合宿の前に鍵のことを心配する声が上がっていたんです。特に、食堂で働いている人たちは外での持ち物管理が甘くなることを心配していたんですよ」
と教えてくれる。
「それは面白い情報ですわ。食堂で働く方達には何か関係があるのかもしれませんわね」
乃愛は思考を巡らせた。特に、食堂のスタッフが合宿と運営に関わっている以上、彼らの行動が鍵を探す手がかりになるかもしれない。
「でも、その中で誰かが失くしたかもしれないのに、どうして周りは気付かなかったんでしょうか?」
彩音が不思議そうに尋ねる。
乃愛は思案する。
「もしかすると、食堂の人たちが忙しすぎて、鍵を見つける余裕がなかった可能性も考えられますわ」
話を進めるために、食堂に向かうことを決めた乃愛と彩音は、食堂で働くメンバーに聞き込みを行うことにした。
食堂に到着すると、賑やかな声が丁寧な調理をする人々の手から出ていた。乃愛と彩音は食堂の一角で作業をしている女性に目を向け声をかける。
「失礼いたします、合宿での鍵の件について何か心当たりはありませんか?」
彼女はしばし手を休め、少し考えてから答えた。
「実は、食堂が混み合っていて、昼食の用意をしながら、鍵の管理が厳しくなかったことを思い返しました」
その時、彩音が女性の側にあった台所の中に目をやった。何か異物が視界に入り、彼女は思わず近寄った。
「あれ?これ、どこかで見たことがあるわ」
乃愛も近寄り、何があるのかを確認した。そこには、パンの袋がひっそりと置かれていた。その中には一部の未使用の食材が入っていた。透明な袋には、何かのメモが付いていることに気づいた。
「このメモ、何かが書いてありますわ」
乃愛はそのメモをそっと取り上げた。内容を確認するためにいったん思考を整理する。メモを広げようとする彼女に、彩音が興味津々で寄ってくる。
「何が書いてあるの?」
「見る前に、少し落ち着いてくださいね、彩音さん」
乃愛は真剣な眼差しでメモを読み始めた。
「『急に体調が悪くなった。鍵は外に出したまま』と書いてありますわ」
その瞬間、彩音が驚いた。
「つまり、誰かが合宿の準備中に突然体調不良になったってこと?」
乃愛は頷く。
「その可能性が高いですわね。体調が悪くなったために、鍵を外に出しておけなかったのかもしれません。特に、忙しい中では焦りも加わり、余計にパニックになったのでしょう」
「それじゃあ、その体調不良の人が鍵を失くした原因なのかな?」
彩音が続ける。
「おそらくそうかもしれませんわ。私たちの考えは、鍵を失くしたのは食堂スタッフの中の一人ということですわ」
乃愛は注意深く、食堂周辺を見回した。メモに書かれた人の名前や特徴がどこかに掛かっていないか注視する。ふと、視線を送る以前一時的に動きがあり、食堂の別のスタッフが体を押さえ、苦しみ顔をしていた。
「彩音さん!」
乃愛は楽しげに言った。
「あの方に話を聞いてみましょう」
彼女たちはそのスタッフに近づくと、乃愛は丁寧に話しかけた。
「お身体、大丈夫ですか?」
スタッフは恥ずかしそうにもじもじしながら、自分の名札を見る。
「あ、意外と元気です。すみません、少しいろいろあって……実は食中毒かもしれないんです。合宿が終わったら、早く病院に行かなきゃと思っていました」
乃愛はその言葉をしっかりと受け止めた。彼女の思考は自動的に詰まった様々な問いに繋がり、彼女の興味を一層惹きつける。
「その時、鍵をなくしたこともあったのでしょうか?」
スタッフは不安げに眉をしかめた。
「ええ、その通りです。昼食中に私以外の人たちを手助けしていると、同時に鍵に手が回らなくなっていました……ごめんなさい!」
乃愛は金槌で失くなった鍵の原因を確認し、被害者から直接情報を引き出せたことに満足感を覚えた。食堂の関係者にその事件があった事を明らかにでき、さらに急がなければならない状態に理解が深まった。
「どうやら、キャンパスの建設作業員の方に事情があるかもしれません」
乃愛はしっかりと思案した。
「え?なんで?鍵の件と結びつくの?」
彩音が目を輝かせる。
「でも、報告されていないかも知れません。食堂の方が建設現場から出た帰り、とても体調が良くなかったと伝えられていました」
そう言いながら、乃愛の心に明るい穴が開く。
「そう、例えば鍵を無くしたことで混乱が生まれ、その結果ストレスに繋がっているかもしれないと思いましたわ」
「そうか!実際にその作業員が現場で何かを逃したら大変だし、私たちが思っている以上に核心的なことが隠れていたりして!」
彩音は興奮しました。
紹介された犯人の特性について考えを巡らせた乃愛は見晴らしの良い屋上に行くことにした。建設現場の状況がうかがえ、それが何かの手がかりになるかもしれない。
「ここから見える部分を確認してみましょう、彩音さん」
乃愛は周囲を観察し、明らかになった秩序を探る。窓の外には建物が見え、近くに作業員の姿が見え隠れしていた。
すると、一人の作業員が何かを振っていた。乃愛は彼の動作に気づき、その様子を観察する。
「彩音さん、あの作業員に聞いてみたいことがありますわ」
乃愛が提案すると、彩音は元気よく頷いた。
二人が近づくと、作業員は振り返り、驚いた様子で答えた。
「何か、用ですか?」
「その件についてお話を伺えますか?合宿で鍵を無くした件についてです」
乃愛は静かに彼に視線を向けた。
「実は、その鍵……あ、いや、僕も何も知らないよ!」
と作業員は言うと、咄嗟に立ち去ろうとしていた。
「待ってください!何か手がかりをお持ちではありませんか?」
乃愛は興奮しつつも冷静に呼びかける。
作業員は立ち止まり、しばらく考えただけで、
「えっと、実は体調が悪くなった時、何かがあった気がするのは確かだ……」
と言葉を濁した。
乃愛は顔を見合わせた後、彼に近づいた。
「それがどのような状況か、もう少し詳しく教えていただけますか?」
作業員は小さく息をつき、手をこめかみにやった。
「喉が渇いて、自分の弁当を食べたんだが……その時、鍵を外に放置したことを後悔した」
乃愛はその言葉に注意を向け、
「それでは、鍵が見つからなかった理由を解明できるかも知れませんわ」
やがて、作業員の口から聞かされた詳細な話は、まさに事件の核心を掴むための貴重な情報に繋がった。冷静に考えを深めると、乃愛の思考は一つ一つの要素が矛盾なく繋がっている様子を確認できた。
数時間後、乃愛と彩音はその情報をサークル仲間に丸ごと報告することにした。サークルメンバーからの信頼も受けて、乃愛の手作り弁当とともに真実が共有される。サークル仲間たちは理解を寄せ、感謝の竜巻が広がり始めた。
「やっぱり事件は普通じゃなく、百パーセントの答えが必要ですわね」
彼女は微笑み、彩音は元気に頷いた。
「乃愛ちゃん、やっぱりあなたには敬意をもって進める感じがあるね!次もこうやって解決しましょう!」
乃愛と彩音は、新たな友情の絆を感じながら次なるミッションへと向かうのだった。事件が一つ解決しても、新たな謎の扉が開かれ続けることを期待しつつ……。