第58話 「運動会のトロフィーを巡る謎」

事件の発生は、令和の運動会の喧騒とともにやって来た。久遠乃愛は大学のキャンパスを歩きながら、彩音と共に運動会を楽しむ気持ちでいっぱいだった。しかし、そんな楽しい雰囲気は突如として壊されることになる。

「乃愛ちゃん、なんだか賑やかになってきたね!」
彩音は明るい声で、ほっぺたを赤く染めながら言った。

「そうですわね、運動会はやはり特別なイベントですもの」
乃愛は、どこか神秘的な微笑を浮かべて呟いた。彼女はその口調を好んで使っていた。お嬢様のような雰囲気を演出することで、周囲からの注目を集めることができたからだ。

しかし、その瞬間、青空に響く悲鳴が二人の耳に入った。

「何かあったのかしら?」
乃愛はその方向へ視線を向け、問いかけた。

「見に行ってみよう!」
彩音は行動力溢れる性格そのもの、乃愛の手を引いて現場へと急いだ。彼女の好奇心と勇気は、乃愛にとって刺激でもあり、しかし時には少し危なげなものでもあった。

騒ぎの中心には、生徒たちが集まっていた。運動会のトロフィーが、なんと盗まれたのだという。実行委員長の佐藤が、顔を真っ青にして動揺している様子が見受けられた。

「どうやらトロフィーが無くなったらしいですわ」
乃愛は彩音に耳打ちした。
「これはただの盗難事件ではなく、何か大きな背景があるかもしれませんわね」

「でも、トロフィーなんて盗んでどうするの?」
彩音は首をかしげ、
「誰がそんなことするのかしら?」

乃愛はその言葉に、ふと考え込んだ。彼女は心理学を学んでいるため、発想の転換が得意だった。実行委員長がプライドを持っていることを知っている彼女にとって、少しの嫉妬や劣等感がトロフィーの盗難へと繋がる可能性があると感じた。

「彩音さん、彼らに詳しく事情を聞いてみましょう」
乃愛は前を向いて自信を持って言った。
「私が推理を進め、あなたは情報を集めてくださいな」

「うん、分かった!」
彩音は元気よく返事をした。

二人は早速、現場である学食のキッチンへと移動した。運動会のトロフィーは、そのキッチンの近くに一時的に保管されていたのだ。乃愛は周囲を観察しながら、細かい部分まで注意を払った。

「ここ、机に何か残っているようですわ」
乃愛の指が留まった先には、机の上に小さな爪痕があった。

「爪痕?」
彩音はその近くに膝をつき、手で触れようとした。
「これは…誰かが引っかいたのかな?」

「おそらくそうでしょう」
乃愛は頷きながら、思考を巡らせた。
「犯人は急いでいて、物に当たってしまったのかもしれませんわね。この爪痕が手がかりかもしれません」

二人が動き出すと、他の生徒たちが不安そうに集まっていた。乃愛はその中に一人、佐藤の姿を見つけた。彼にはトロフィーを守る責任があったはずだ。

「佐藤さん、少しお話を伺えますか?」
乃愛はその場で彼に声をかけた。佐藤は驚いたように振り返り、少し恐る恐る近づいてきた。

「元気ですか、乃愛さん…?どうしてこんな時に…」
彼の口調には、緊張が隠せない様子だった。

「実行委員長としてトロフィーが盗まれたこと、どう思っていますの?」
乃愛は鋭い眼差しを向け、問いかけた。

「わ、私が何かしたわけではありません!本当に、急に消えたんです…」
佐藤は必死に否定したが、その瞳には不安と焦りが浮かんでいた。

「それを聞いて安心しましたわ。でも、あなたがそのような毎日を送っていながら、トロフィーに対してどれほどの思い入れがあるかも気になりますわね」
乃愛は微笑を浮かべながら、内心では彼の心の動きに敏感に反応していた。

「私は…やっぱり、プライドがあるから!」
佐藤は思わず切り返した。
「運動会の実行委員長として、何としても成功させたかったんです!」

「プライド…」
乃愛はその言葉を心の中で繰り返した。
「それが動機かもしれないですわね」

「佐藤さん、最後にもう一つ」
乃愛はさらなる問いかけに入った。
「あなたが知らない中で、誰かがトロフィーを持ち去る可能性があると思いますか?」

彼の表情が変わり、顔が青ざめた。
「い、いえ…そんなことはないと思います」

乃愛は彼の反応に冷や汗をかくような気持ちになった。何かが彼の心の中に隠されているのではないかと思いつつ、彼女はさらなる手がかりを探すために学食の他の生徒に目を向けた。

彩音は、その間にクラスメートたちに問い合わせをしていた。
「あなたたち、運動会の準備の時に何か怪しいことを見たり聞いたりしなかった?」

「うーん、特に何も…でも、佐藤がトロフィーのことをすごく気にしていたのは見たかも」
一人が割り込んだ。
「それに、急に顔が青ざめていた時があったかな…?」

「それは面白い情報ですわ」
乃愛はすぐに彼女たちに向き直り、
「誰かが彼の周囲に近づいていたのかもしれませんね」

さらに数人の話を聞く中で、どうやら佐藤のプライドが崩れそうになっている様子が浮かび上がってきた。運動会を成功させるために、トロフィーすら守れないのではないかという恐れが、彼の心に侵食しているようだった。

「さて、彩音さん、私たちは調査を進める必要がありますわ」
乃愛は決断し、彩音に向かって言った。
「私たちの目標はトロフィーの行方を見つけ出すこと。そのためには、まず誰が彼を追い込んでいたのかを考慮する必要がありますわね」

「うん、了解だよ!」
マイペースな彩音はすぐに立ち上がり、乃愛の言葉の間にチャンスを見出しているようだった。

学食を後にして、二人は再びキャンパス内を探索することにした。観察力をフルに活かし、あちこちで人々の会話を耳に入れつつ、トロフィーに対する反応や言動に注視した。

彼女たちの推理が進む中で、運動会の中継が続いており、学生たちの笑顔が踊っていた。しかし、二人の心には不安が広がっていた。トロフィーへの情熱が、どこか狂気へと向かっているのではないかという予感である。

「次に何をするの?」
彩音が尋ねると、乃愛は迷わず答えた。
「佐藤さんに再度追及して、彼の心の奥深くに潜む何かを掘り下げる必要がありますわね」

二人は再び階段を上り、キッチンのある場所へと向かった。牛乳瓶が揺れている様子も気にせず、他の生徒たちが賑わう中で、佐藤を見つけることができた。

その場には他の実行委員たちが集まっており、話し合いをしている。乃愛はその中に入ると、積極的に佐藤に話しかけた。

「佐藤さん、私たちにもう少し話す時間をいただけますか?」
乃愛はすぐに彼に向かって言った。

「え、ええ…」
彼は不安そうに応じた。
「何か、新しい情報があるのかな…?」

「いえ、しかしあなたから何かを引き出したいのですわ」
乃愛はやや挑発的な口調で続けた。
「運動会の運営には大きな影響を及ぼしますもの」

「俺は…大丈夫だ、注意深く…」
佐藤は誤魔化すように言ったが、その言葉には自信が感じられなかった。

「あなたのプライドが、時には足かせになっているのではないかしら?」
乃愛は冷静に、心の声を代弁した。そして、彼の心に渦巻く恐れが伝わってくるような気がした。プライドを守るために何をしたのか、心の奥底で葛藤している様子が見えた。

そのとき、彩音が自分の思いつきを話し始めた。
「佐藤くん、もしかして他の誰かとトロフィーのことを話していたりした?」

「話してなんかいない!」
彼は反射的に反論し、顔が赤くなった。

「やっぱり、他に誰かがいたのかな?」
彩音の問いかけに、乃愛は今までの会話で感じたことを思い出していた。彼は恐れていた…しかし、何を守ろうとしているのかまでは分からない。

その場は静まり返り、周囲の生徒たちも気まずい空気に反応した。乃愛はその瞬間を逃さず、確信に近づく。

「人はプライドを守るために大きな決断をすることがある。あなたもその一人では?」
彼女は鋭く切り込んだ。

「俺は、なんでもないよ!ただ、トロフィーが無くなっただけで…」
佐藤は動揺を見せた。

「そうですわ、単なるトロフィーの問題ではありません」
乃愛は一歩踏み込む。
「あなた自身のプライドが、問題を引き起こしているのでしょう。あなたの心の奥にあるもの、それを教えてください」

その言葉が響く中、周りの空気が変わった。佐藤ははっきりとした表情を浮かべ、自らの内面に目を向けていた。彼は、自分の想いを明かす瞬間が迫っているかのように。

「…大変だったんだ」
と彼は呟いた。
「運動会が成功しないと、俺の立場がなくなるということが。だからトロフィーが消えたことが、余計に怖くなった」

「立場を守るために、自分を犠牲にしたとは言えないでしょう?あなたが勘違いをしているだけ」
と乃愛は彼の心を導くように優しく言った。
「みんなを思う気持ちが伝われば、あなたの本当の美徳が示されるはずですわ」

佐藤はそこまで語ると、自らの心の溝を自覚した。プライドを守りたいという気持ちと、自らを制御できない恐怖が交差し、彼は何かを決意しかけていた。

「私は…」
彼は言葉をつまらせて、目を瞑り、ため息をついた。
「実際には、トロフィーを取りに行ったわけじゃない。誰かに頼まれたんだ…他の実行委員に」

その瞬間、乃愛の胸に何かが灯り、瞬時に全てを理解した。
「その人は、あなただけではないということですか?」

「そ、そうだ。実行委員の佐々木が、トロフィーを保管することを反故にしたんだ。俺に頼まれて…でも俺は、その声に逆らえなかった!」
彼の声は一気に大きくなり、感情が解放された。

乃愛と彩音はその瞬間に反応した。事態が大きく進展したのだ。
「佐々木の目的は何ですの?」
乃愛はすぐに次の質問を発した。

「彼は…運動会での注目を自分に向けたくて、トロフィーを持ち去ったんだ。みんなが見てくれない自分を見てもらいたかったんだと思う。彼のプライドも、そういう形で壊れかけていたから」

乃愛はメモを取りながら考えた。
「現場にいた君が、その場の状況を理解できていても、佐々木は他の人が関わるのが迷惑だと感じたわけですか。プライド…いや、大きな影響がプライドを狂わせることもあるということですわね」

「本当のところ、彼は悪気があったわけじゃない。だが、あのトロフィーを無くしてしまうことで、全てを失う恐怖を持っていた」
佐藤の目には悔いが宿っていた。

彩音は目を輝かせ、
「私たち、佐々木を探さないと!彼のところへ行こうよ!」
と乃愛に呼びかけた。

「そうですわ、急ぎましょう」
乃愛もその思いを共有し、二人は再び校舎の中に駆け出した。

次に向かう先は、佐々木の教室だった。運動会の緊張感が漂う中、乃愛はその心がけを捨てず、冷静に事態を収拾しようとしていた。しかし、その瞬間、彼の姿が見えた。

教室には他の生徒たちもいたが、何かを思いついた乃愛は、すぐに行動を起こすことにした。

「佐々木さん、今すぐお話をしてほしいですわ!」
乃愛はその場で声を上げると、教室にいる全員が興味を持って振り返った。

その中にいた佐々木は動揺した様子で、
「何だよ、乃愛…」
と低い声で答えた。

「私たちの記憶の中には、トロフィーの失踪に関わる何かが秘められているはずですわ」
乃愛は彼を直視し、確信をもって言った。
「あなたはその中心にいるのでしょう?」

「俺は…でも」
彼も言葉が続かず、周囲の視線を感じ取るのも遅れていた。

「全ての疑念を晴らすには、真実を話し合うことですわ。それが全ての人々にとっての真実になりますのよ」
乃愛は情熱をこめて続け、
「行動は結果に結びつく。あなたがその立場にいるからこそ、強い影響力を持つことになります」

佐々木は深呼吸をし、
「実は、あのトロフィーに親友の信頼を武器にしたかったんだ…それが俺の心に火をともした。だから…」

彼の言葉に、みんなが耳を傾け始めた。

「実行委員の逆境を乗り越えるために、動くべきだと考えてたんだ。運動会の権威を利用して、皆に受け入れられたかった」

「トロフィーを取り去った行為が、受け入れられるための手段だったということでしょうか?」
乃愛は不安定な様子を見せながらも、さらに詰め寄った。
「そうすることで、今の自分を無くすのが恐ろしかったのですか?」

「そうだ…!」
彼は急に声がかさぶたのように出た。
「俺には、その覚悟が持ててなかった。プライドの後ろ側にあったものが、俺を苦しめた」
と言い放った。

その瞬間、周囲の生徒たちは深く静まり返り、教室の空気が重くなった。乃愛はその静寂を利用して、彼らの心の変化を確認できた。

「では、これからどうするのでしょう」
と乃愛の冷静な声が響き渡った。
「あなたがすべきは、プライドを捨ててでも、皆に真実を受け入れてもらうことですわ。そうすることでこそ、新しい仲間との絆が生まれ、友情が築かれるはずですわ」

佐々木は痛みに顔をしかめ、
「でも、仲間には申し訳ないことをした」
と苦悩に顔を顰めた。

「よいのです、全てを打ち明けることが真の友情を育む第一歩ですから」
乃愛は優しい笑みを向けた。
「恐れずに、言葉にしてみて。自分の心の声を真摯に受け止めなければならない」

佐々木は弱気に前へ進み出ると、他の生徒に目を向けた。
「ごめん…俺が弱かった。トロフィーのことで裏切ってしまった。俺は、他の皆の期待を背負いきれなかった…」

周囲の生徒たちはむしろ彼の告白に心を打たれ、溜め息が漏れた。
「受け入れることができるはず。信頼してるから、みんな何かを受け入れあうことは大切だから」
誰かが優しく言葉をかけた。

乃愛はその後の流れを見守りながら、彼女と彩音の協力が繋がってきたことを実感した。真実は、幾つもの心の火をさらに強くする。

「皆さんを集まって、運動会を成功させるために努力し合いましょう!」
佐藤の言葉に生徒たちも賛同し始めた。

乃愛はその光景を微笑ましく見守りながら、真実の力を信じる心を深めていた。完全な解決へ向けて、あのトロフィーを取り戻すことはできるはずだった。でも、もっと重要なことは、絆と理解であるのだとあらためて感じ、乃愛の心は温かくなった。