黒川梨乃は、高校の帰り道を歩きながら、いつも通りの思考に浸っていた。今日は、村上和真くんにお弁当を作ってきた。彼の好きな卵焼きを特にふんわりと仕上げた自信作だ。クラスメイトには
「優等生」
として知られる私だが、彼の前だけはどうしても冷静でいられない。どこか照れくさい気持ちが心の中でくすぶり、そんな気持ちを隠して、普段通りの冷静な黒川梨乃を保とうと努力する。
家の近くの小道を通りかかると、突然、視界の端に小さな影が映った。何かの動物が道端でじっとしている。近づいてみると、それは小さな猫だった。
「かわいい……ですわ」
心の中でつぶやきながら、無意識にその猫に手を差し伸べた。猫は少し警戒しながらも、私の手に鼻を擦り寄せてきた。すると、ふと後ろから声が聞こえた。
「黒川、何してるの?」
振り返ると、そこには村上和真くんがいた。彼はそのふんわりとした髪を揺らしながら、驚いた顔をして私を見つめていた。その笑顔だけで、まるで心が溶けてしまうようだ。私は思わず心拍数が上がり、視線が猫に戻る。
「こ、この猫、道に迷っているみたいですわ。飼い主が心配で」
私は自分の気持ちも整理せずに、猫のことを心配していると言い訳する。真相を知ったら、和真くんはどう思うのだろう。この猫を拾い上げたのも、少しでも彼と近くに居たかったから。
「そうなんだ。猫も迷子になっちゃうんだね」
和真くんは心配そうに猫を覗き込む。その瞬間、彼の大きな手が猫の頭を優しく撫でる。ああ、彼のその優しさが私をもっとドキドキさせる。
「でも、どこかで見たことがある気がする。もしかして、近所の猫かな?」
そう言った和真くんは、特に気に留める様子もない。私の心配が当たり前になるほど、彼は純粋だ。ひょっとしたら、私のこの気持ちも彼には届かないのかもしれない。そんなことを考えると、胸が締め付けられる思いがする。
「まあ、いいですわ、これから私が面倒を見てあげますわ。名づけ親も兼ねますし」
私の言葉に、和真くんは首をかしげる。
「名づけ親って何?」
彼が知らないことだらけなのが可笑しいけれど、どこか微笑ましくもある。彼の不器用な笑顔を見ていると、私の心はもっと和んでしまった。
「名づけ親とは、私のようなお恵みを受ける者に名を与える存在ですわ。新しい友達のために、素敵な名前を考えますわね」
「えっ、そうなんだ。黒川はそういうことにも詳しいの?」
嬉しさを噛み締めながら、私はそっと猫を抱き上げる。猫は警戒しつつも、私の腕の中で丸くなり始めた。和真くんは一瞬目を丸めた後、フッと柔らかな笑顔を浮かべ、私たちを見守る。
「じゃあ、どんな名前がいいかな。猫って、何か好きな食べ物があるのかな」
と、和真くんはつぶやく。
好きな食べ物……そう言われると、私の頭の中に無邪気な彼の笑顔が浮かぶ。まぁ、和真くんもそのうちに、猫と仲良くなれるくらい、優しい生き物だから大丈夫。
「あ、猫の名前は猫らしく、シンプルなものが良いかと思いますわ。例えば『ココ』や『ミケ』などですわ」
「じゃあ、ミケがいいかな。かわいい名前だし、ふわふわな感じにも合ってる」
私が考えた名前をそのまま受け入れてくれる和真くん。彼には何もかもオープンで、純粋な気持ちを持ったその姿勢がたまらなく好きだ。そんなふうに気持ちを共有できたことが嬉しくて、自分の顔がゆるんでいるのを感じる。
「それでは、これからのミケを一緒に育てましょうですわ、和真くん」
私の言葉に、彼は少し照れくさそうに笑った。それがまた愛おしかった。
「一緒に育てるんだね。黒川の弁当も一緒に食べられるかな?」
その一言に、私は急に恥ずかしさを感じる。強く、固く、彼に想いを寄せ続けているのに、この瞬間だけ妙にドキドキしている。この猫を育てるという日常が、彼と一緒に過ごす時間をもたらしてくれることに興奮する一方、手に入らない何かを思って不安が押し寄せる。
「えっ、弁当ももちろん、分けますわ。にくじゃがも入ってますし」
そう言いながら、私は内心焦っていた。この状況が同じクラスの親しい友人である以上、弁当の話で彼との距離を縮められると思ったのだ。でも、もし彼に好意を伝えられなかったら、どうすればいいのだろうか。それを考えると不安が募る。
「じゃ、ミケの面倒を見るために、これからも一緒に帰ろうか」
和真くんが嬉しそうに言うその瞬間、私の心臓が跳ね上がった。
「もちろんですわ、和真くんと一緒なら何もかも楽しいですから!」
彼が私のこの思いを気づかないのがもどかしいが、彼との時間が続くことが嬉しくて、それだけで十分だ。今は、この猫とともに、彼の隣で幸せな日常を重ねることに専念しよう。
こうして、ミケと一緒に私たちの帰り道は始まった。和真くんとの会話、猫とのふれあい、そんな毎日が続けばいいと願っていた。彼との距離が縮まる一方で、私の想いが溢れ出すことを恐れながら、日常の一コマを作り上げていく。
猫を抱きかかえた両臼の柔らかな感触や、見かけた風景を楽しみながら、私は和真くんの隣を歩く。彼の大きな手の優しさや、彼が見せる無邪気な笑顔、そのすべてが私の心を魅了する。私はそんな彼を守りながら、彼に自分の気持ちを伝えたいと常に思っているけれど、なかなかそのきっかけを掴むことができない。
「ねぇ、黒川。猫ってどんなところに隠れることが多いかな?」
彼の純粋な疑問に、私は思わず猫を見つめ直す。
「隠れる場所……かしら?たぶんね、温かいところが好きですわ」
私の答えを受けて、和真くんはそのまま考え込んだ様子で道を歩いている。そんな彼を見つめていると、また心がドキドキしてくる。私は彼の隣にいることで安心するが、同時に思いを伝えることができないもどかしさも感じる。
「では、ミケが隠れたら、一緒に探してあげよう!」
私の言葉に、和真くんは笑顔で頷く。それは、まるで子猫が遊びに興ずる様子のように、無邪気だった。彼の心がこの素晴らしい日常に感謝しているように見える。
「そうだね。黒川と一緒なら、どんな小さな冒険も楽しいな」
その言葉が私の心を温かくし、夢のような毎日に思いを寄せる。彼と私に、少しずつ共通の思い出が増えていくことが嬉しくてたまらない。
そして、時が過ぎるに連れて、猫にワクワクしながら和真くんとの会話が増えていくと、私の心は少しずつ満たされていった。私の心の中には、彼に対する想いが大きく広がり、どうにかしてこの感情を彼に伝えたいと願い続ける。
でも、毎回その機会が来るたび、どう伝えればいいのか分からないのだ。私の気持ちが重たく感じると同時に、彼はいつもの通りに自然に振る舞う。まるで彼の目には私の想いが映らないかのように。
「今日も無事に育ちますように、私のミケ」
猫の背を撫でる手を止めて、私は心の中で呟く。彼と共にいられるこの瞬間が、運命のように輝いている。だけど同時に、想いが重く、一歩踏み出す勇気が必要だと感じる。
和真くんとの毎日が、私の日常を豊かにし、私の心に大きな影響を与えていることを痛感する。
こうして、私たちの帰り道は続き、笑顔の連鎖が生まれ続けていくのだった。