久遠乃愛(くおん のあ)は、海側のカフェテラスで友人の雪村彩音(ゆきむら あやね)と一緒に過ごしていた。春の穏やかな海風が心地よく、彼女たちの周りには、大学のスポーツ大会が開かれていることを祝うように、活気に満ちた学生たちが集まっていた。乃愛は、カフェのテラス席に座り、手元の本を指でなぞりながら、静かに日差しを楽しんでいたが、彩音が身を乗り出して、久遠の肩を軽く叩いた。
「乃愛ちゃん、ねえ、見て!あのカフェの入口に、何か人だかりができてるよ!」
乃愛は本を閉じ、視線を向けた。確かに、エントランスの前には数人の学生が集まっているのが見えた。陰では何かトラブルが起こったのかもしれない。彼女は冷静に考え、言葉を返した。
「ちょっと行ってみましょうか、彩音さん。何か不正があるのかもしれませんわ」
彩音は、彼女のその言葉に目を輝かせ、すぐに立ち上がった。
「うん、行こう行こう!」
ふたりはカフェを後にし、その人だかりの中央に向かった。すると、そこにはスポーツ大会の運営メンバーらしい数人の顔が見えた。彼らは騒がしく話しており、少し不安げな様子だった。
「一体、どうしたんですか?」
乃愛が声を掛けた。周囲の視線が彼女へ向けられると、彼女は自らの立場を明らかにした。
「わたくしは探偵なの。何かお手伝いできることがあったら、ぜひ、おっしゃってください」
運営メンバーの一人が驚いたように目を見開き、そして彼女に説明を始めた。
「実は、講義に出ている聴講生が、うちの大会で不正行為を行っていると報告が入ったんです。スポーツ競技の結果が怪しいとのことです」
乃愛はその報告に関心を寄せた。不正行為というのは、彼女の探偵としての本能をくすぐるテーマだった。
「その聴講生の名前は?」
と乃愛は問う。
「確かな情報はありませんが、聴講生の中に一人、不思議な雰囲気の男がいるようです。彼は他の生徒に対して態度が冷たく、自分のことを話しませんので」
乃愛の興味がさらに高まった。どうしてこの男が不正行為を行ったのか、彼の動機を探りたいと感じた。だが、まず第一に手がかりを収集する必要がある。
「ドアノブに何か付着した液体はないかしら?」
乃愛は運営メンバーに訊ねる。
運営メンバーは不安げに頷いた。
「確かに!ドアノブのあたりに付いていたものがあったかもしれません。ですが、それが何の材料かは分かりません」
「それを確認したいわ。彩音さん、行きましょう」
と乃愛が言う。
ふたりはすぐにカフェの入口に戻り、ドアノブに残る液体を確認することにした。乃愛は慎重に近づき、ドアノブの周囲を観察する。すると、透明な液体がドアノブに付着しているのを見つけた。
「これは何か特別なものなのかしら」
とつぶやく乃愛。
彩音が覗き込む。
「何か化学薬品みたいな色に見えるね。なんで、こんなところに液体が?」
「おそらく、彼が不正行為をするために、何かの薬品か道具を使ったのだと思うわ」
と乃愛は答える。
「この液体が本当に何かを示唆しているか確認しないと。でも、私たちには手元で調べられる道具がないの」
「よし、私が試験管に入れて持ち帰って、研究室で分析してみるよ!」
彩音はまるで大きな決意をしたかのように言った。
「それはいい考えですわ。ですが、まずは聴講生の情報を集めましょう。彼の行動を観察し、分析する必要があります」
彼女たちは、聴講生を見つけるためにキャンパスを歩き始めた。人ごみをかき分け、学生たちが集まる場所へと向かう。乃愛の頭の中には、この不正行為を暴くための推理が次々と浮かんできた。
その時、ふたりは一人の男性に目を奪われた。背の高い、肌が白く、どこか影を帯びた雰囲気の聴講生が彼らの前を通り過ぎた。彼は目を伏せており、周囲の学生たちと目を合わせることはなかった。乃愛は一瞬思い立った。
「彩音さん、この人がその聴講生でしょうか」
「確かに、彼だね。違和感がすごい」
と彩音も声を潜めて言った。
「彼の後をつけてみましょう」
乃愛と彩音は、密やかにその男の後を追いかけた。男は、イベントのテントの裏に入っていく。二人はそっと近づくと、隠れて彼の会話を聞くことができる。
「これで流れが変わり、彼らは俺の思惑通りに進むだろう」
男の声が耳に入った。
二人は息をのむ。まるでぐるりと謎に包まれた計画だ。それは明らかに不正行為を示唆していた。乃愛は再び推理を巡らせ、観察を続けた。
「ねえ、何をしているの?」
突然、彩音が声を上げた。
男は驚いたように振り返り、目を大きく見開いた。乃愛は冷静さを保ち、彼を見つめた。
「私たちは、あなたの行動を見ていましたわ。不正行為を行なったのではありませんか?」
男は一瞬硬直し、口ごもる。
「そんなことはない、俺は…」
「あなたは私たちが何を求めているのか、理解していますか。手がかりを教えてください」
乃愛は彼をじっと見つめ、冷静に問いかけた。
男は続けざまに、神妙な表情を浮かべた。本音が漏れる瞬間だった。彼は何かを言おうとしたが、口をつぐみ、結局何も言わなかった。乃愛はその姿勢を見逃さなかった。
「自分が何をしたか、理解しているのでしょう。それなら、あなたのお言葉で真実を語ってください」
突然、男は苦悩の表情に変わった。
「嫉妬だったんだ。クラスでの彼の優秀さに対して、悔しさが募って、思わず不正を考えてしまった。ただ、速く昇進したかっただけなんだ!」
男は涙を流しながら言った。
乃愛は驚き、彼の動機を理解した。
「嫉妬心からの衝動だったのですわね。ですが、やったことには責任が伴います。真実を語らなければ、問題は解決しません」
バランスが崩れたように彼は、しおしおと肩を落とした。そして彼は、全てを語ることを決意した。
「す、すみませんでした。私が行ったことは、許されるわけがない。皆の期待を裏切ってしまった」
「謝るのはいいですが、問題を解決するには行動が必要ですわ」
と乃愛は言った。
「これから、あなたは真実を伝え、すべてのことに対処しなければなりません」
男は頷いた。
「わかった。これからは正直に行動する」
その後、彼は現場の運営メンバーに自ら名乗り出、すべてを告白した。乃愛と彩音は、その様子を見守っていた。彼らの知性と行動力が、この事件を解決に導いたことを誇りに思った。
彩音は興奮気味に言った。
「乃愛ちゃん、やったね!私たちが導いた結果だ!」
乃愛は微笑みを浮かべた。
「ええ、でもこれは私一人の力ではなく、彩音さんがいてこそ達成できたのですわ」
ふたりは、その後、静かにカフェに戻り、海側の穏やかな風を感じながら、勝利の余韻を楽しんでいた。海辺のカフェの周りには再び学生たちの笑い声が響き渡っていた。乃愛は心の中で感じた静かな幸福感を噛みしめながら、新たな事件に挑む準備をしていくのだった。