真夏の陽射しが、真っ青な空に照りつける中、久遠乃愛は自室の窓を開けて外の風を感じていた。今日は大学の休みの日。しかし、その平穏は突如として破られた。電話が鳴り響き、幼馴染の雪村彩音からの連絡だった。
「乃愛ちゃん!今すぐ来て、あたしの先輩が変なこと言ってるの!」
彩音の声は焦燥に満ちていた。乃愛はすぐに思考を巡らせる。この状況が何を意味しているのか、事態がどれほど深刻かを、彼女は直感的に理解した。彼女は準備を整え、彩音の元へ急いだ。
バイト先の小さなカフェ。彩音の先輩は、店舗閉店後に一人で残っているという。乃愛は、会話の内容からして明らかに何かしらのトラブルが発生していることを悟った。扉を開けると、カフェの中はひんやりとした空気に包まれていた。
「お待たせしました、彩音さん」
と乃愛は一歩中に入りながら言った。
「乃愛ちゃん、こっちこっち!」
彩音は両手を振り、大きな目をキラキラさせながら先輩がいる一角へ誘導する。
乃愛はその様子を見つつも心の中で冷静さを保っていた。彼女は心理学と論理学を学び、日常から多くの情報を観察し、推理する能力を身につけているが、こうして現場に足を踏み入れるのは期待と緊張が入り混じる感覚だ。
その一角には、彩音の先輩・須藤がいた。彼はカフェの小さなテーブルに座り、目を大きく見開いて、まるで何かに囚われたように話し続けていた。
「俺は見たんだ!あの時、彼女が…」
須藤の言葉は興奮に満ち、次第に意味不明な文脈に変わっていく。
「彼女が、俺を呼んだんだ!でも、その声は俺の知っている声じゃなかった…」
乃愛は彼の表情とその言葉を敏感に観察した。
「彩音さん、少し離れたところにいてもらえますか?彼と話すのは私一人の方がいいと思うのですわ」
彩音は不安そうな表情を浮かべながらも頷き、少し後ろに退いた。乃愛は須藤の対面に座り、静かに言葉を選んだ。
「須藤さん、何が起きたのか詳しく教えていただけますか?」
須藤はゆっくりと目を閉じ、深呼吸をした。
「これは…ややこしい話なんだ。本当に見たかどうかも分からない。でも、あの時、彼女が急に現れて、何かを伝えようとした。でも、何を言ったか思い出せない…その後、彼女は急に消えてしまったんだ」
乃愛はその表情から、須藤が何か特異な体験をしたのだという感覚を受け取った。しかし、彼の言葉には矛盾があった。彼女が彼に伝えようとしたことは、彼には明確に受け止められていないのだ。これは単なる妄想なのか、それとも他に何か理由があるのか。乃愛はその一つ一つの言葉を丁寧に噛み砕くように思考を進めた。
「それで、須藤さんはその『彼女』をどうして気にしているのでしょうか?それが何か影響があると思うのですか?」
須藤は唇を噛み、目をそらした。
「彼女…実は、俺の昔の恋人なんだ…」
彼の声が小さくなる。乃愛は一瞬その耳に入った言葉を反芻した。そして、彼の過去と彼女の存在との関わりが何らかの形で影響しているのだという確信を得た。
「その恋人さんが、息を引き取った場所は…どこか覚えていますか?」
須藤は一瞬動揺を見せたが、すぐに思い出したようだった。
「大学の構内だ…思い出したくなかったけれど、あのとき確かに僕を呼んだ。その場所では、俺は彼女の亡骸を見た」
乃愛は他の手がかりを求めるように、須藤をじっくりと観察した。
「須藤さん、閉店するまでその場にいたのですか?その間、何か変わったことはありませんでしたか?」
彼はしばらく思案にふけり、その後答えた。
「鍵のかかったボックスがあったんだ。誰かが隠していたけれど、結局俺は開けようとは思わなかった…それがあれのせいだとは思いたくないけど、あの日の出来事を俺が正直に語れない理由が何かあるのかもしれない」
「鍵付きのボックス?」
乃愛はその瞬間、思考が閃いた。もしその中に何かの手がかりがあれば、この複雑な状況の真相を掴む糸口になるかもしれない。
「彩音さん、もう一度須藤さんが言っていたボックスを見に行きましょう」
彼女は立ち上がり、彩音の元へ走った。
「彩音さん、そのボックスはどこにあるの?」
彩音は首を傾げていたが、
「あっちのストックルームにあるはず!」
と返事した。二人は指示された場所へと移動する。
ストックルームの扉は少し開いていて、内部は少々薄暗かった。乃愛はその中に足を踏み入れて、点灯するスイッチを探した。そして光がともると、そこにあったボックスを見つけた。
「これが須藤さんが言っていたボックスですわ」
乃愛はその不思議な描写に目を細めながら近づいた。だが、ボックスは堅く閉ざされていて、鍵もかかっていた。
「どうやって開けるのかな…」
彩音は眉を曇らせた。
どんな善意も、時には刃となることがある。乃愛はその瞬間、須藤の話にあった様々な言葉の意味を再考した。彼女の警覚は高まっていたが、同時に須藤が恐れていた通りの本質がまさにここにある感覚がした。
「彩音さん、私たちには急いで何か手を打たなければなりません。須藤さんに真相を話す前に、他にもこの事件の背後には何かが隠れているはずです。もっと情報を集めましょう」
彩音は頷き、
「どうしよう、乃愛ちゃん…でも手掛かりだって見つからないじゃん!」
と声を詰まらせる。
乃愛は冷静に決意を新たにした。
「まず見回してみましょう。このボックスの周り、何か手がかりが見つかるかもしれませんわ」
そう言って、彼女は周囲を確認し始めた。床には様々な道具や雑貨が無造作に散らかっている。しかし、その中の一つ、小さな鍵が落ちていた。乃愛はそれを見つけ、夢中で拾い上げた。
「これ…きっとボックスの鍵かも!試してみる価値があるわ!」
彼女は興奮しながら言った。彩音もその様子に釘付けになり、期待を抱きつつ頷いた。
乃愛はボックスの鍵穴にその鍵を差し込み、心臓が高鳴る感覚と共にゆっくりと回した。カチリと音が響き、ボックスは開く。その中には、古い手紙や写真が収められていた。
しかし、その中身を見た瞬間、乃愛は思わず息を呑んだ。そして、その内容が須藤の先輩が過去にどれほど苦悩していたのかが分かるような気がした。写真の中には、須藤の恋人と明らかに異なる顔立ちの女性が写っていた。これが、彼女が言ったに違いない真実の一端であることを感じ取った。
「乃愛ちゃん、どうしたの?」
彩音が心配そうに尋ねる。
「この写真、須藤さんが滅多に語らない過去と繋がっているわ。これを彼に見せれば、点が繋がるかもしれませんわ!」
乃愛はワクワクしながら言った。
その瞬間、須藤の姿がストックルームの入口に現れた。
「どうしたんだ、何か見つけたのか?」
彼の目は期待と不安で揺れていた。
乃愛は深呼吸し、真摯な眼差しで須藤を見た。
「須藤さん、これを見てください」
彼女は写真を彼に手渡した。
須藤は瞬時に表情を暗くし、その後沈黙が流れた。しばらくすると、彼はゆっくりと語り始めた。
「彼女の顔…俺の中の記憶では、違うはずだ。俺が見たのは…そうだ、いつも笑顔だった。こんな表情じゃなかった…」
彼の言葉には苦悩の色が滲んでいた。それは彼の過去に埋もれた真実が明らかになる瞬間だった。
「須藤さん、何も隠さずに話してほしいのですわ。彼女が伝えたかったことは一体何だったのですか?」
乃愛は優しい語り口で尋ねた。
須藤は瞳を閉じ、戦うように言葉を選んだ。
「……俺はその時、彼女に届くことなく別れを告げた。何をどうしても、その思いは俺を縛っていた。彼女が求めるものをいつも理解できなかった。でも、彼女がまた呼びかけてきたとしたら…」
須藤の声は震え、目から涙が溢れていた。
「須藤さん、彼女はあなたに伝えたいことがあったのかもしれません。私たちがこの真相を解き明かせば、彼女の思いがすべて浄化されるかもしれないのですわ」
須藤は少しずつ表情を緩め始めた。
「本当に?でも、どうするんだ、彼女は…もう…」
「彼女が何を本当に求めていたか。その答えを見つけるのが我々の役目ですから」
乃愛の瞳には覚悟が映っていた。
その後、三人でカフェの外に出たとき、静かな夜が訪れていた。街灯の明かりがほのかに彼女たちの顔を照らしだした。乃愛は思いを馳せつつ、須藤に改めて声をかけた。
「須藤さん、私たちは聞きたいことがありますの。彼女が何を言おうとしていたのか、もう一度心の内を確かめてみましょう。重要なのは、あなたの思いを素直に語ることかもしれませんわ」
須藤はしばらく考え込み、静かに頷いた。
「そうだな、俺は彼女を忘れたわけじゃない。これこそ、真実に辿り着く鍵かもしれない」
その言葉に応じるように、乃愛は次第に安心感を覚えた。彼女たち三人の思いが一つにまとまることで、暗い過去の霧が晴れ、真実が明らかになることを願った。罪の意識が彼女を捕らえ、重くのしかかるが、賢さと勇気を持って前へ進もう。彼女は確信していたのだから。
その時、静けさの中に静かに響く何か。友の叫び、助けを求める声。乃愛はその声に運命を感じ、自らの使命として、全力でその先へと進んでいくことを決意した。これが新たな物語の始まりであり、彼女たちの真実の探求が、深い闇を照らし出す光になることを信じて。
こうして、彼女たちの新たな冒険が始まった。