黒川梨乃は、朝の校門をくぐると、いつものように自然に嬉しさがこみ上げてくる。新しい一日が始まると共に、彼女の心の中には、同じクラスの村上和真への想いが渦巻いていた。
「和真くん、今日は少し特別なお知らせがありますわ」
心の中で何度もその言葉を繰り返しながら、彼を目で追った。村上和真は、いつも通りのんびりとした表情で、友人たちと談笑している。そのふんわりしたミディアムヘアが、朝の陽光に照らされて輝いて見えた。
「いってきます、梨乃」
和真の声が届き、思わずドキリとする。彼の笑顔に心を奪われそうになりながら、軽やかに手を振り返す。
「いってらっしゃいですわ、和真くん」
彼の後ろ姿を見送りながら、何か特別なことを伝えたくてたまらなくなる。今日は特別な校内放送のアナウンス係体験の日なのだ。クラスの代表として、和真と一緒にその役割を務めることになった。
「やっと、やっと一緒に過ごす時間が持てるのですわ」
心の中で歓喜しながら、早速自分の準備を整えた。梨乃は、手作りのノートを持ち、台本を何度も読み返す。内容を完璧に暗記して、和真に恥をかかせることはできない。頭の中で彼に褒められる姿を想像し、自然と笑みが零れる。
放課後、いよいよその時間がやってきた。体育館に集まったクラスメイトたちの中で、彼と目が合った瞬間、心臓が高鳴る。少し緊張しているのが伝わったのか、和真が優しく微笑んでいる。
「梨乃、頑張れよ」
その言葉に、私は恥ずかしさと嬉しさで顔が熱くなる。どうして彼はそんなにも優しいのだろう。
「天然男子最高」
と心の中で叫び、彼を見つめる目が自然とさぼりがちになっていく。
「それでは、校内放送を始めますわ。今日は特別なイベントなので、みんなもお楽しみくださいませ」
私の声がスピーカーから流れると、教室の中の静まりかえった空気と、みんなの期待に満ちた視線を感じた。言葉を続けながら、何度も和真の目を見つめる。彼の表情に少しでも私の気持ちが伝わることを願って。
しかし、隣で彼は、その天然さ全開で聞いている。私の思いが浸透する余地がないまま、彼はのんびりとした表情でラジオのように情報を受け取る。
「黒川って、アナウンス上手だな」
放送が終わった後、彼が放ったその言葉に私は感激する。
「ああ、和真くん、私の思いが伝わっているのね。でも、もっと伝えたいのに!」
気持ちが高ぶる中、放送室から出て彼の元に駆け寄る。
「和真くん、どうかしら?私のアナウンスは」
「おお!本当に良かったよ。特に、最後の部分、すごく面白かった!」
彼のその言葉に、私は心が躍った。やっぱり彼は私のことを気にかけている。……そう思いつつも、彼により近づきたいという思いが募る。しかし、彼の反応が自然すぎて、心のどこかで納得できない自分がいた。
「そうですわ?もっと頑張るので、和真くんも一緒にアナウンス作りしませんか?」
自然と誘っているつもりだったが、和真の目はふんわりしていて、
「いいよ、楽しそうだね」
としか返事が来ない。我ながら重すぎると思いつつも、夢見がちで可愛い彼を見ていると、
「大丈夫なの、きっと私の気持ちが通じる」
と自分に言い聞かせる。
その後、放課後の教室で二人でアナウンスの台本を作ることになった。机を挟んで向かい合い、和真はリラックスした表情で私の横に座る。
「そういえば、梨乃が作ったお弁当、まだ食べてないよ」
彼のその言葉がプレッシャーとして私の心を刺した。
「も、もちろんですわ、和真くんのために作ったものですし、喜んでもらえると嬉しいですわ!」
彼に喜んでもらいたい、そんな想いで心はいっぱいだ。しかし、私の心のどこかで
「彼に食べられたくない」
という独占欲がきしむ。でも、彼の為ならその思いを貫きたいと本気で思う。
「梨乃のお弁当、楽しみだな」
彼の言葉に感激して、優しい笑顔が私の心にどんどんきて、たまらなくなる。彼のために用意したお弁当がどんなに素晴らしいものか、心の中で膨らませる。だが、彼が果たして私の真剣さに気づいてくれるか不安も広がった。
「そういえば、今日はどうやって学校に来たの?」
彼の質問に私は緊張してしまった。
「あ、ああ、もちろん自転車ですわ!いつも通りですわよ」
と、少し堅く返す。
彼は不思議そうに
「そっかあ、最近はよく散歩するからさ。梨乃を道すがら見かけることがあってさ」
と言った。その言葉が、彼が私の気持ちを知らないことを浮き彫りにする。
「見かけているのなら、言ってくだされば、もっと私もアプローチできるですわ」
と心の奥底からちょっとだけ思う。
「アプローチ……面白い言葉だね」
私は彼に近づくチャンスを狙っている。しかし、彼はまったくそれに気づいてくれない。私は心の中で一層燃え上がる想いを感じた。
「和真くん、私は……」
言葉が出かかったその瞬間、彼が私を見つめており、私は緊張で言葉がつまってしまった。
「今気持ちを伝えるのはダメ、もう少し頑張ってからにしないと!」
と自分に言い聞かせる。
その日もクラスの活動が終わり、帰りの時間になった。放課後は和真くんとの距離がどんどん近づいている。彼への密かな思いを胸に、帰り道の途中でアナウンスに備えての台本をもう一度確認した。
次回の校内放送での言葉を準備する時間が楽しみでたまらない。しかし、一方で私の本音が抑えきれないままでいることへのもどかしさも感じた。
「和真くん…本当は伝えたくてたまらないのですわ。でも、どうすれば彼の心に届くのか…」
そんな葛藤が心に渦巻く。
日々彼を観察し、彼との距離が縮まっていく。この思いが、どこか非現実的なものかもと思う自分もいるが、彼の笑顔を見れば忘れてしまう。今日は一歩踏み出す勇気が出るに違いないと思いながら、もう夜になろうとしている教室で、彼の存在を食い入るように見つめるのだった。
(続く)