久遠乃愛は、薄暗い大学のキャンパスを歩きながら、最近受けた数件の依頼を思い返していた。彼女の元に舞い込む事件は、常に異色で、まるで推理小説の一場面のようだった。今日は、それらの中でも特に不可解なものがひとつ、彩音からの連絡で持ち込まれた。
「乃愛ちゃん、聞いて! 宗教団体の儀式中に、何かが起こったって!」
彩音の声は興奮に満ちていた。彼女は、乃愛の幼馴染かつ相棒で、さまざまな事件を持ち込むことで知られていた。彩音の明るい性格は、乃愛の真逆であり、いつも彼女の冷静さを引き立ててくれる。
「詳しく教えてくれますか、彩音さん」
乃愛は、落ち着いた口調で尋ねた。
「うん、近くのコンビニで、宗教団体の儀式が行われる予定だったんだ。でも、途中で何者かが侵入して、混乱を引き起こしたみたい」
「何者かが、ですか。それは興味深いですわね」
乃愛は、彼女の知識を活かすために頭を働かせる。この事件には、何か深い意味が潜んでいるに違いない。その直感は、これまでの経験から導き出したものであった。
コンビニの近くに着くと、すでに警察の車両が何台か停まっていて、緊迫した雰囲気が漂っていた。乃愛と彩音は、その中に入り込み、周囲に目を配る。数人の警官が関係者に聞き取りを行っている様子だ。
「乃愛ちゃん、あそこに人だかりができてるよ」
彩音が指差した先には、黒い服を着た宗教団体の信者たちが集まっていた。彼らの表情は緊張感に満ち、耳を傾けている様子だった。乃愛は、彩音に合図を送り、その人だかりに近づく。
「みなさん、何か分かりますか?」
乃愛は、冷静さを保ちながら口を開いた。一人の信者が振り向くと、その顔には不安が浮かんでいた。
「儀式が終わる前に、誰かが現れて混乱を招いたんです」
「あの、何か手がかりはありましたか?」
信者は少し戸惑いながらも話し続ける。
「机に、爪痕が残っていました。それに、何か奇妙な言葉も…」
「奇妙な言葉?」
乃愛は興味を示し、さらに追及する。
「うん、誰かが叫んでいたみたいで、『愛犬を守るためだ!』って」
その言葉が乃愛の脳裏に響いた。それは、この事件の背後に潜む意図を示唆しているのかもしれない。彼女は彩音に目を向け、小さく頷く。
「まずはあの机を調べてみましょう」
乃愛の指示に従い、ふたりは現場へ向かった。机の上には、混乱の跡が残っていたが、確かに爪痕が深く刻まれているのがわかった。
「これ、どんな人がつけたのかしら…?」
乃愛は、じっくりとその爪痕を観察する。彼女が考えていると、彩音は周囲を見回しながら、不意に何かを発見したようだった。
「乃愛ちゃん、あそこにカメラマンがいるよ。大学の周りでけっこう写真を撮っているのを見たことがある」
「そのカメラマンが、事件に関与しているのかもしれませんわね。行ってみましょう」
ふたりはカメラマンの元へ向かう。彼は、ニット帽をかぶり、カメラを構えながら撮影を続けていた。
「すみません、少しお話ししてもいいですか?」
乃愛が声をかけると、カメラマンは驚いた様子で振り向いた。彼は、冷静かつ落ち着いた喋り方をしながらも、逆に緊張した様子だった。
「何のご用でしょうか?」
「あなたがこの場にいた理由をお聞きしても構いませんか?」
カメラマンは明らかに動揺していた。
「私はただのフリーカメラマンです。すぐにイベントのために写真を撮りに来ただけです」
「その『ただ』が重要なんです。この儀式に何か関係しているのではありませんか?」
カメラマンは沈黙した後、少し顔色を変えた。
「私は、愛犬のためにこの儀式が必要だと思った。それで、撮影の名目で、見守りに来たんです」
乃愛は、彼の言葉を聞いて、状況が複雑であることを理解した。彼の動機は、愛犬という愛情の源であり、それが彼の行動を引き起こしたのだ。
「あなたは、この儀式が終わることを恐れていたのでしょうか?」
乃愛は静かに尋ねた。
「ええ、宗教団体がこの儀式を行うことで、周囲の環境が変わってしまうと思ったんです。愛犬やペットが危険にさらされるかもしれないから」
カメラマンの言葉は重くのしかかり、乃愛は彼を信じるに足る情報を得たと感じた。だが、それが真実であるかどうかは、今後の調査で確認する必要があった。
「大変でしたね。この儀式を止めるしかなかったということでしょうか?」
彩音は、カメラマンの視線を真っ直ぐに見つめながら尋ねた。彼は一瞬たじろいだ後、小さく頷いた。
「そうです。愛犬を守りたい一心で…」
このカメラマンの存在が、事件の裏にどれほどの影響を持つか。不安と興奮が波のように押し寄せた。乃愛は、次に進むべき道を模索した。
「私たちの調査を手伝ってくれるのかしら?」
乃愛の問いかけに、カメラマンは少しばかり考える様子を見せた。
「はい、できる限りお手伝いします」
その心の変化が、事件を解決に導く鍵になると、乃愛は確信した。彼らは、さらに手がかりを追い求めることに焦点を定めた。
数日後、乃愛と彩音は、再びコンビニに戻ってきた。カメラマンも同行し、儀式を行う建物の周囲を捜索した。そして、そこには、かつて見た光景とは違う静けさが漂っていた。
「この場所、何かが変わった気がする」
乃愛は徐々に感じる微妙な違和感に心を惹きつけられた。周囲の雰囲気が変わる瞬間、彼女の直感が鋭くなる。
「彩音さん、あなたは何か感じますか?」
「うん、なんだか妙な気配がする」
その直感を大切にしながら、乃愛は再度周囲を観察する。すると、とうとう手がかりが彼女たちの目の前に現れた。地面に落ちていたものは、何かの切れ端だった。
「これ、写真の一部かしら?」
乃愛はそれを見つめ、感情が胸の中で渦巻いた。
「この写真には、何か特別なメッセージが隠されているかも」
その場を跡にしながら、彼女たちの頭の中には、事件と関係のある謎が渦巻いていた。この謎を解き明かすためには、再度カメラマンに聞き込みを行う必要がある。
カメラマンは、写真を元にした新たな話を始めた。
「この写真、実は、愛犬が写っている部分があるはずです。私、儀式の途中にそれを見逃してしまいました」
乃愛はその答えが示唆する意味を思考の中で膨らませる。
「つまり、犯人は儀式の最中、愛犬を連れ去ろうとしていたということですか?」
「そうなるかも… それを阻止するために、私がこの場に来たんです」
彩音と乃愛は、お互いの目を見つめ合った。
「では、問題の核心に近づいてきましたわね」
それから再度現場に戻り、周囲を確認する。乃愛は、カメラマンが持っていた別の写真を思い出し、再度彼と話をした。
「その写真を見せていただけますか、あなたの愛犬の?」
彼は、しばらくの静寂の後、一枚の写真を取り出した。それは、愛犬が明るい表情で写っていたが、背景には暗雲が立ち込めているように見えた。
「これが、私の愛犬です。でも、これが事件にどう影響しているのか」
乃愛は考えながら、その写真の背景にあるものが何かを察知する。
「愛犬は、あなたの守るべき存在。その気持ちが、この事件の発端となっている気がしますわ」
彼女の言葉の重みを感じ、カメラマンは沈黙したまま頷いた。乃愛は、すべての手がかりが彼の心の中に秘められていることに気付いた。
「あなたの愛情を受け取らなければ、事件の真相には辿り着けませんね」
「私には、愛犬を守るための方法が必要みたいでした。だから、強行手段に出てしまったんです」
乃愛は冷静さを保ちながらも、その心の内を理解しようと努めた。
「でも、それが人を傷つける結果になってしまったのでは?」
それから、彼は沈黙した。自身の過ちを振り返り、改めて儀式の意味を考えさせられた結果だったのだろう。
数時間後、全ての証拠が結びつき、乃愛は事件の真相を明らかにした。カメラマンは、結局儀式を止めるために、彼の中で決断を下した人物だという事実と愛犬を守るために誤った選択をしたことを自覚しなければならなかった。
乃愛と彩音は事件を解決し、警察にも情報を引き継いだ。カメラマンは、きちんと反省し、次なる道を選ぶことになることが望まれた。
「乃愛ちゃん、すごいよ! また一件解決だね!」
彩音は笑顔を見せ、彼女の心には安堵が広がっていた。
「でも、事件の根底にはまだ解決すべき問題が残っている気がするわ」
乃愛も淡々と応じ、再びキラリと輝く未来を見つめていた。彼女の心に宿る少年のような推理への情熱は決して消えることはないだろう。