季節は春。新しい学年が始まってから、もうすでに数ヶ月が経っていた。高校2年生の黒川梨乃は、今でも彼に恋心を抱いている。彼とは同じクラスの村上和真。和真くんは天然で、どこかお人好しな性格。彼の無邪気な振る舞いに、私は心を奪われてしまったのだ。
私の気持ちは、もはや密かにしているという範疇を超えている。周囲のクラスメイトには私の気持ちがすっかりバレバレで、クラスの女子たちは私をからかうのが大好き。しかし、和真くんだけはまったく気付いていない。
「黒川、また和真に弁当作ってるの?」
なんて言われる度に、私は恥ずかしくも嬉しくて、ついにこっそりと監視する日が続いていた。
ある日のことだった。授業が始まるほんの少し前、私は教科書を家に忘れてしまったことに気づいた。これは、チャンスだ。和真くんに教科書を借りるチャンス。彼の隣の席に座っている私は、心の中で
「今、声をかけるのがいいかしら……どうしよう」
と自問自答していた。今まで何度も教科書を借りたことがあるのに、いつも緊張してしまう。
「梨乃、どうした?」
と、和真くんが私の様子を見て声をかけてくれた。
「えっと、和真くん……教科書、忘れちゃったの。お借りしてもいいかしら?」
私はお嬢様口調を貫きつつ、少しもじもじしながら言った。
「もちろん、いいよ。どうせ俺も一緒に見ながら勉強すればいいから」
と、とても優しい笑顔で答えてくれる和真くん。
私の心臓はドキドキが止まらない。この瞬間、少しの距離を縮めることができた。教科書を借りるただの行為が、私にとっては特別な意味を持っていた。和真くんとの距離を少しでも縮めることができたのだ。
授業中、私は和真くんの横で真剣に勉強しているつもりだったが、実際は彼の横顔を何度もチラチラと見てしまっていた。和真くんが考え込む姿や、時折見せる無邪気な笑顔、それらすべてが私にとって最高の癒しだった。
ただ、クラスメイトたちが私たちを見て、あざ笑う目線を送っていることは、どうにも気が気でなかった。
「黒川、また和真くんといっしょにいるの?」
と、隣の女子が笑いながら私に話しかける。
「なんでもないわよ、ただ教科書を借りただけ」
と、少し赤面しながら言い返す。
その瞬間、和真くんが
「おい、梨乃、大丈夫?」
と心配そうな目で私を見たのだ。その純粋無垢な目が私に注がれた瞬間、心が踊る。
「はい、平気ですわ」
と、なんとか冷静を装った私は、少し自分を取り戻す。そして再び、和真くんの教科書に目を向けた。
授業が終わり、教室の雰囲気が和やかになる中、意を決して私は和真くんに話しかけた。
「和真くん、今度は私が作ったお弁当を一緒に食べない?」
和真くんはいつものようにニコニコしながら、
「もちろん、楽しみにしてる」
と言ってくれた。まっすぐな目線と笑顔に、私の心は再びドキドキさせられる。この瞬間が永遠に続けばいいのにと思う。
学校が終わり、放課後の教室には、少しずつ人が減っていく。私はいつも和真くんが帰る時間帯を見計らって、彼が出て行くのをじっくり観察している。今日は彼が最後に帰る時間帯になった。
「和真くん、もう帰るの?」
そっと彼に声をかける。
「うん、ちょっと散歩でもしようと思ってさ」
と、彼らしいのんびりとした返事。まったく、彼は行動がゆったりしている。そんな和真くんを見て、私は少しだけ焦り始める。
「私も一緒に行ってもいいかしら?」
心の中でドキドキしながら、思い切って聞いてみた。彼と一緒に過ごす時間がせっかくできたのに、逃したくない。私の気持ちは少しずつ大きくなっていた。
「いいよ、たまには一緒に散歩しよう」
と、和真くんは優しく笑って答えてくれた。その瞬間、私の胸は高鳴った。ついに和真くんと2人での時間へ一歩近づいたのだ。
キャンパス内を歩くと、彼の優しい笑顔を見つめながら、私は彼の横にピッタリ寄り添った。気持ちが高まる一方で、何か特別なことを言わなければと思う気持ちも高まっていた。しかし、その言葉をどうにか言おうと考えているうちに、私の頭は真っ白になってしまった。
和真くんが自然に話しかける。
「梨乃、あのさ、こういう散歩楽しいね」
と言って、彼は目を輝かせた。それに私もつい嬉しくなって
「はい、楽しいですわ」
と答える。どうしてこうも、私の気持ちが通じないのだろうと心配になってしまう。
ただ、和真くんの純粋さが大好きだという気持ちは変わらない。彼の横でこうしているだけでも、世界が違って見える。まるで彼と一緒にいる時間が夢のようだ。
そしていつも通り彼は、
「そういえば、梨乃の手料理ってどんな感じ?」
と無邪気な質問をしてくる。私は、その瞬間がどうでも良くなりそうなほど、心が温かくなった。和真くんが私の料理を楽しみにしてくれているなんて、至福の瞬間だ。
「とても美味しいですわよ、特にあなたのために作った時には、一生懸命な気持ちをたくさん入れているから」
と、少し強めの告白をしてみる。
「それは楽しみだなぁ、梨乃の料理が食べられるなんて」
と言ってくれる和真くん。その反応に、やっぱり彼は私にはちょっと鈍感なのではないかと感じながらも、ドキドキが収まらなかった。
そのまま私たちは何気ない会話をしながら、楽しい時を過ごした。少しずつ和真くんとの距離が縮んでいることを感じながら、その夕暮れに何か特別なことが起こる可能性も夢見ていた。彼の隣で、心の中で
「私が一番あなたを大切に思っているのに、どうしてあなたは気づかないのかしら」
と少し悲しくも感じながら、素直な気持ちを伝えたいと思った。
結局、その日の出来事はどれも優しい思い出として私の心に焼き付いていた。しばらくはこの瞬間が続くだろうと願いながら、彼との関係をもう一度見つめ直して自分を照らすために、次のステップへ進む勇気を持とうと決意したのだった。