久遠乃愛は、百年古い図書館の一角、薄暗いゼミ室で、手元のノートに目を落としていた。外の風が窓を叩く音が、静寂を破る。彼女の黒髪が揺れ、細長い指がペンを走らせた。文学を専攻する彼女だが、心の奥には探偵魂が脈打っている。独特の視点で物事を見る才能は、幼い頃から磨かれてきたものであった。
そんな乃愛の隣には、明るい茶髪をなびかせた幼馴染、雪村彩音がいた。彩音はソファに座り、パソコンの画面を見つめている。普段は社交的な彼女だが、今は集中した面持ち。彼女の手元には、最近失踪したペットについての情報が集められていた。
「乃愛ちゃん、見て!このペットフード店の常連さんが、すごく怪しいと思うの」
彩音が目を輝かせる。
失踪したのは、彼女たちの友人であるミカの愛犬、コロン。みんながその無邪気な姿を愛しており、その行方を追うのが急務だった。今回の調査依頼は、ミカからのものだ。彼女は心の底からペットを愛していて、そのために乃愛と彩音に助けを求めたのであった。
乃愛は、淡々とした声で言った。
「それにしても、どうしてコロンが急に消えてしまったのかしら。何か手がかりが必要ですわ」
「そうだね、それに一緒に遊びすぎたかもしれない。ミカちゃんが言ってた、コロンがいつも遊びに来るゼミ室も怪しい場所だね」
彩音が首をかしげる。
その時、乃愛の心に一つのアイデアが浮かんだ。
「では、早速現場に向かいましょう。きっと何か見つかるはずですわ」
その言葉に彩音は頷き、すぐに行動に移った。
「行こう!乃愛ちゃん!」
***
ゼミ室に到着した二人は、まずは周囲の状況を観察した。窓が開いていて、外からの冷たい風が中に吹き込んでいる。想像以上に静まり返った室内、ペットの姿はどこにも見当たらない。彩音が出入り口のドアを注意深く調べながら言った。
「誰も入っていないみたい。窓も全開だし、コロンが外に出ちゃったのかな」
乃愛は、じっと窓に目を凝らした。そこにはコロンの指紋や痕跡は見当たらないが、何やら不自然な点があった。
「窓ガラスに、何か付着しているようですわね。近づいてみましょう」
窓の縁に寄り添った乃愛は、小さな指紋を見つけた。彼女は注意深く観察する。
「これは、コロンのものではないわ。おそらく人間の指紋でしょう」
乃愛の声は冷静だった。
「じゃあ、誰がここにいたのかしら?」
彩音が興味津々に尋ねる。
「一つ考えられる理由がありますわ。この部屋に来ていた常連客が、ペットに何かした可能性があります。特に最近、私たちの周りで噂が立っているアルバイトの常連客がいるとの話を耳にしました。その人物が、コロンになにかをしたかもしれません」
乃愛の思考は早くも形になり始めていた。
「その人、誰か知ってる?」
彩音が持ち前の好奇心を隠せずに言った。
「名前はわからないのですが、調査する価値はありますわ。まずは、この指紋を基に調べてみましょう」
乃愛はペンを取り出し、指紋のスケッチを始めた。
***
状況を一歩進めてから、二人は校内の飲食店へと足を運んだ。そこで、常連客がいると聞いていた。店内は賑やかで、笑い声や食器の音が絶えない。一角には、何人かの学生が陽気に会話を繰り広げている。乃愛と彩音は、目立たないように慎重に聞き耳を立て、怪しい会話がないか調べた。やがて、若い男性の会話が耳に入った。
「ペットシッターのアルバイトができたんだ。自分の家の借金を返すためにやってるって」
声が少し耳障りで、冗談のようにも聞こえた。
「でも、盗んじゃうなんて最低だよね。もしバレたらどうするんだろう?」
別の声が続く。
乃愛の目が光り、彩音に耳打ちした。
「聞こえましたか?これが、あの常連客の話ですわ。このビジネスが隠れている可能性があると思います」
「そうだね。この人たちに話を聞いてみよう!」
彩音が提案する。
二人は、男子学生に近づいて行った。彼らは乃愛たちの近くのテーブルに座っている。乃愛が冷静に尋ねる。
「お話をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「え?ああ、もちろん」
彼らは少し驚いた様子だったが、興味を示しているようにも見えた。
「最近、ペットに関する事件を調査しているのですが、あなたたちの話を聞きました。特にペットシッターのアルバイトについて、詳しく教えていただけますか?」
一瞬の静寂が流れた後、彼らは顔を見合わせた。そして、内心の緊張を隠しつつ、男子学生が言った。
「まあ、噂も含めて聞こえてくることだから本当かどうかはわからないけど、最近、ペットシッターが不幸な出来事を起こしたって話が広まってるよ」
***
「不幸な出来事?何か具体的な内容はありますか?」
乃愛が鋭い眼差しで問いかける。
「うーん、確かミカのコロンの話だよ。なんでも、コロンが消えた後、あの常連客が色々と関わっているみたいな話があるって」
男子学生が一息つく。
乃愛の頭の中で、様々な情報が繋がりを持ち始めた。
「なるほど、それはますます怪しいですわね。具体的にその男性の名前を知っていますか?」
「名前はわからない。でも、いつも独りでいる感じのやつだった。ああ、たしか…喫茶店の方でもよく見かけたような」
彩音は思わず口を開いた。
「それなら、あの常連客を見つけないと!」
乃愛は、彼らの焚火のような興味が自分たちの調査に火をつけたことを感じた。
「であれば、喫茶店に向かいましょう。そこの常連客がいろいろ知っているかもしれませんわ」
「了解!急ごう、乃愛ちゃん!」
彩音の声には無邪気な期待が宿っていた。
***
喫茶店に着いた二人は、周囲を見回した。ここにも学生たちが集まり、談笑をしている。乃愛は、先ほど聞いた噂を思い出しながらお店の入口付近で一点を見つめた。
「あの男性かもしれませんわ」
「そうだね、背が高くて目立つよ。行こう!」
彩音が先に立ち、男に近づいていった。
乃愛はその後を追う。
「失礼しますが、少しお話を伺いたいことがあるのですが」
「なんだ?」
男性は警戒した表情を見せた。
乃愛は、冷静さを保ちながら言った。
「最近、ミカの愛犬コロンが失踪した事件について調査していて、あなたのことを聞きました。何か関わりがあるのでは?」
彼は瞬間、表情を硬くした。乃愛はその反応を見逃さなかった。
「どうか落ち着いてください。この件は非常に重要なのですわ」
「や、やってない。自分は関係ない!」
男性は不安そうに言ったが、明らかに動揺している。
「あなたの指紋がゼミ室で見つかりました」
乃愛の言葉が、シリーズの真実に迫る。その時、彩音の拳が空を切った。
「わたしもあなたのことを知っている!」
「どうして、そんなことを…」
驚きが混じった声に、乃愛が続けた。
「あなたは借金を抱えているのでしょう。そのために何かやらかしたのでは?」
その瞬間、彼の顔色が変わる。
「せ、セッティングだ!自分は違う!」
乃愛は、これ幸いと彼の変化を捕えた。
「全ての証拠は、あなたの指紋にありますわ。もう逃げられないのですわよ」
***
結局、男性は一連の事件を告白した。彼は家族の借金を返すために、コロンを一時的に引き取っただけだった。しかし、その行為は違法であり、ミカの気持ちを踏みにじるものであった。彼は謝罪し、家族が困っていることを訴えるのだが、その心の奥には罪悪感が広がっているのがわかる。
「だからといって、犯罪を引き起こす理由にはなりませんわ」
乃愛は冷静に答えた。彼の言葉には一種の同情も感じるが、それを表に出す気はない。彩音も彼に優しく言った。
「ミカちゃんとコロンのためにも、きちんと責任を持つべきだと思う」
ふいに小さなサイレンが彼の耳に響く。すべてが明るみに出た今、彼はもう抑えきれない運命に対して向き合うしかなかった。その後、警察に通報し、彼は事情を話すことになった。
***
数日後、コロンは無事にミカのもとに帰り、乃愛と彩音は小さなパーティーに誘われた。そこには、コロンの笑顔があり、懐かしさが溢れていた。
「見つけてくれて本当にありがとう、乃愛ちゃん、彩音ちゃん!」
ミカの言葉は心に響いた。
「いつでも、あなたのために駆けつけますわ」
乃愛は薄く笑い、彩音も元気に答えた。
「私たちのコンビは最高だね!」
その日、乃愛と彩音は、盛り上がるパーティーの中で、さまざまな笑顔に包まれながら、次の事件を待ち望む心の準備をしていた。彼女たちの探偵の旅は、これからも続くのだった。