第15話 「ストーカー事件の真相を追う探偵たち」

ある晴れた午後、久遠乃愛は大学のキャンパス内で軽やかな足取りを続けていた。彼女の黒髪は微風に揺れ、克明な目を細める。文学部の教室から少し離れた場所に整然と並ぶ木々の下で、幼馴染の雪村彩音が彼女を待っている。彩音はいつもとは打って変わって緊張した面持ちで、周囲を見渡していた。

「乃愛ちゃん、待ってたよ!」
彩音の明るい声が乃愛の耳に届く。彼女の茶髪のボブカットが陽光を浴びて輝いている。乃愛はその無邪気さに微笑む。

「彩音さん、どうしたのですか?そんなに慌てて」

「実は……」
彩音は一息ついてから、目を輝かせつつ続けた。
「有名なアイドルのストーカー事件があるって聞いたの!そのアイドルが美術部のアトリエを使うって」

乃愛は興味深げに視線を彩音に向けた。彼女は小さい頃から推理小説に親しんできたが、それとは異なる現実世界での事件は、彼女の知的好奇心を刺激して止まなかった。

「詳しく教えてくださいな」

彩音は携帯電話を取り出し、画面を叩きながら話し始めた。
「このアイドル、光希って言って、最近ストーカーに狙われているの。警察に通報したんだけど、ストーカーはまだ見つかっていないんだって」

「なるほど。でも、ストーカーの手掛かりは何もないのでしょうか」
乃愛の口調は冷静で、彼女の思考はもうすでに推理の旅に乗り出している。

「そう!そのアイドルが美術部のアトリエを使うってことは、もしかすると手掛かりがあるかもって」
彩音の瞳には、決意の光が宿っていた。

「では、早速行ってみましょうか。アトリエに行く前に、情報を集める必要がありますわね」

こうして二人の探偵の旅が始まった。乃愛と彩音は、美術部のアトリエに向かう途中、周囲の人々にストーカー事件について尋ねることで情報を収集すると決意した。アトリエは大学の広い敷地内にある静かな建物で、ほとんどの学生は立ち入らない場所だった。

アトリエに着くと、乃愛は早速周辺を観察し始めた。彼女は静まり返った空気の中で、何か特異な点がないか耳を澄まし、目を凝らして周囲を観察する。アトリエの窓から見える芳しい木々と穏やかな陽射しが、異常な雰囲気を拭いきれない。

「実際にアイドルがここで使用しているのは確かですわね。ですが、ストーカーが何らかの形でここに関与している可能性もある」
乃愛は思考を巡らせ、振り返って彩音に向けた。

「そうだね、何か手がかりが見つかるといいな」
彩音は周囲を散策し、壁にほこりが積もったキャンバスや色とりどりのペンキを指差す。
「あ、乃愛ちゃん!このペンキの隣に、何か文字がありそう!」

乃愛は彩音の指差す先を見た。確かに、ペンキの上にはかすかに消えかけたメモがあった。
「“待ってるから”……?これは何かのメッセージかしら」

「ストーカーのメッセージかもしれないね!早く警察に行かなきゃ!」
彩音は顔を赤くして興奮し、一刻も早く行動に移そうとする。

乃愛はその様子を微笑ましく見守る。
「焦る必要はありませんわ。もう少し調査を続けて、手がかりを見つけましょう」

彼女はさらに奥へ進む。アトリエの中には、まだ使用されていない道具や資料が整然と並べられていた。乃愛の目が、古いスケッチブックに吸い寄せられる。
「このスケッチブック……誰かが使っていた気配がする」
彼女はページをめくり始め。

「乃愛ちゃん、これ見て!」
彩音が興奮気味に駆け寄り、手に持ったスマートフォンを差し出した。
「光希のインスタグラムのストーリーにストーカーのことが書かれてる!」

乃愛はその画面を見つめ、情報が映し出された。
「ふむ。この電話番号がどこかで見たような……」
すると、一瞬の静寂が場に訪れる。乃愛は集中力を高めた。
「私たち、ストーカーを追うためにはまずこの電話番号を調べる必要があります」

「わかった!私がよく使っているアプリで調べるから」
彩音ははりきった様子で、携帯を操作し始めた。

どれくらいの時間が経ったのか、彩音はぱっと顔を輝かせた。
「この電話番号、地元のパン屋で働いている学生のものみたい!その名前は……宮本翔」

乃愛はそれを聞いて考え込む。
「宮本翔……。美術系ではなく、パン職人。このストーカー事件になぜ関与しているのかしら」

「ひょっとして、ストーカーをやめられなかった理由があるのかな?」
彩音が言った言葉が乃愛の興味をさらにかき立てた。

「私たち、彼の元に行ってみる必要があります。状況を探るために」
乃愛はすぐに行動に移すことに決めた。二人はアトリエを後にし、地元のパン屋に向かって歩き始めた。

パン屋に到着すると、ほんのりとした甘い香りが風に舞っていた。店の外には、数名の学生や主婦たちが並び、活気に満ちていた。乃愛は冷静な態度を崩さず、彩音を導いて店に入った。活発に動く店員の視線を感じつつも、彼女は内心の緊張感を抑えた。

「私たち、宮本翔さんにお話を伺いたいのですが」
乃愛はパン屋の店員に声をかけて、自分たちの目的を明示した。

「宮本?彼は今、休憩中で裏にいると思いますが……」
店員が少したじろいた。

乃愛は尋ねた。
「よろしければ、彼を呼んでいただけますでしょうか?」

目的があると知り、店員が不安そうに背を向けた。
「わかりました。少しお待ちください」
その言葉に、二人はしばらく静かに待つことにした。店内の賑わいが穏やかで、乃愛はじっと周囲を見る。その時、少し離れたところでひょっこりとした視線が彼女に向かい、乃愛は動揺しながらも冷静を保つ。

不意に、背後でドアが開く音がして、宮本翔が現れた。彼の手には一つのパンが握られており、表情は穏やかだった。
「あ、こんにちは。何かご用でしょうか?」

乃愛はその温和な表情の裏に潜む何かを感じる。
「お話を伺いたくて来ました。ストーカー事件について、色々と疑問があるのです」

宮本は一瞬間を置き、そして困惑の表情を浮かべた。
「私が……?」

「はい。本当にごめんなさい、お邪魔するようではありますが、もし何かお心当たりがありましたら教えていただけませんか」
乃愛はその落ち着いた口調が、彼の心に少しでも響くことを願いつつ発言する。

宮本は考え込んだ様子で、ぱっと腕を組んだ。
「実は、最近体調を崩していて……。その影響で少し不安定に過ごしてたんですが、ストーカーの件については詳しく知らないです」

乃愛は表情変えずに彼の話を続けた。
「体調が悪い状態の中で、街中を彷徨くことも多かったのかしら?」

宮本は少し戸惑いながらも口を開いた。
「おそらく、最近外に出ててそれが影響したんだと思います。ストーカー行為をする意図はないですが、ちょっとパニックになったことはありました」

「そうですか。不安が募ってしまったのですね。でも、一つ気になるのが電話番号です。この番号、自分の番号ですか?」

宮本は一瞬固まり、そして動揺した表情を見せる。
「あ……いや、そうではありません。その番号は私の知り合いに教えてもらったもので、友達のものです。話を聞いても置いておいてください」

乃愛はその不穏な反応を尻目に、彼の動機についてさらに探ることを決めた。
「知り合いですね。もしよろしければ、その知り合いの名も教えていただけますか?」

宮本はしばらく逡巡し、そしてやがて振り返る。
「すみませんが、私には言えません」

そこへ、彩音が明るく入ってきた。
「乃愛ちゃん、どうしたの?」

思わず乃愛は振り返り、彩音の元気な声に力をもらう。
「ちょっと話をしてたの。でも、彼は何かを隠している気がするわ」

彩音が目を細めて彼を見た。
「宮本さん、何か芸能人さんに特別な想いがありませんか?」

未練かげんに、一瞬の静寂が満ちた。宮本の目も動揺したように開かれ、乃愛はその表情から読み取った。彼の胸には、薄暗い欲求や執着が潜んでいたのだ。

「アイドルに……惹かれることはあります。でも、決してストーカー行為をするつもりはありません」

乃愛の心の中がざわめき、その言葉が飛び込んでくる。
「もしかして、病気が原因であなたの行動が知らない間に繋がってしまったのかもしれません。意図的ではないが、そう扱われてしまったことは理解しています」

メモを通じて、乃愛は彼の本意を探った。静まり返った店内で、彼の内心に迫ろうと頑張った。突如として、彼の発言が強烈に響いてきた。
「ストーカーは体調が良くなった時、誰かが終わったことで自分を責めることになる」

彩音があわてて切り込む。
「あなたは今どうしたいのですか?また続けたいのか、それとも止めたいのでしょうか?」

その問いが、空気を凍りつかせた。宮本の表情は一瞬固まり、何かを考えているように見える。そして、強がりながら応じた。
「自分でも気がつかないうちに、あの子のことを考えてしまったんです。だから、少し怖くなって……」

乃愛は話を続けた。
「光希さんは、安全でいる権利がありますわ。あなたが支配を怖れる必要はないのです。もしその願望を持つなら正直に向かい合うべきです」

宮本はため息をつき、
「彼女に危害を加えたくない。ストーカーも本当の願望も知らず、でもどうしようもなくなった」
とつぶやくように呟く。

その瞬間、乃愛は真実を見極める必要があることに気づいた。彼の存在が偶然か必然か、そこに何か解明を求め続ける彼女や彩音の心は少なからず彼を理解していることに気づいた。

彩音は来つつあり、続けた。
「あなたが対話を通じて協力できることがあれば、私たちが力になりますよ」

宮本は深く考え込み、いくつかの選択肢が彼の意思を作り出していく。彼は二人の言葉に耳を傾け始める——乃愛は彼の目から何かを感じ取り、彼の過去の出来事を想像した。

「どうすればいいか、正直わからない。でも、私こそが皆に安心を与えることができるのなら、行動してみます」
その言葉が宮本の心を揺さぶったのか、意志が明確になってゆく。

彼の答えに微笑む彩音。乃愛も少し安堵した表情を見えた。彼が何を選ぶかは、これからの希望になるかもしれないから。

「では、私たちが力になれると思います。きっといろいろと手伝えることがあるはずです」
と乃愛は力強い口調で応える。

事件としての結末は自明だ。ただ、その過程がどれほど価値があったか。乃愛と彩音は、彼が選ぶ方向に一緒に向かう決意を胸にしていた。

事件の真相を明かしつくす時、それは彼の未来に何をもたらすのか。そう考えつつ、彼らは新たな道を開き始め、静寂を内包した居場所へと向かってゆく——。