久遠乃愛は、晴れた午後の大学のキャンパスを歩きながら、心の中である事件のことを考えていた。文学部に所属する彼女は、頭脳明晰な女子大生探偵として知られていたが、今回は友人であり相棒の雪村彩音と共に、少々奇妙な依頼を受けていた。内容は、大学の屋上での
「幽霊騒ぎ」
だ。
用意された調査のために、彼女たちは大学の屋上へ向かった。周囲には人影がなく、静寂が広がっている。乃愛はこの神秘的な静けさに、一種の緊張感を覚えた。
「乃愛ちゃん、ここが噂の屋上よね? 私、ちょっと怖いかも…」
彩音が口を開くと、彼女の声には少し不安が混じっていた。
「ですわね。これは怨霊が出現する場所なのかしら?」
乃愛は微笑みながら答えたが、その落ち着いた口調とは裏腹に、心の中には探偵としての興奮が渦巻いていた。
屋上に到着すると、まず目に入ったのは古びた階段と、落ち葉が散らばった床だった。乃愛はその場に立ち尽くし、周囲を観察する。彩音はその様子を見ながら、少し遠巻きに立っていた。
「何か気になる点はありますか、乃愛ちゃん?」
彩音の声に応じて乃愛は振り向く。
「この落ち葉…何日も掃除されていないようですわ」
彼女は床を指さしながら言った。その瞬間、視界の隅に何か光る物体が目に入った。
「ここに落ちているのは…鍵ですわ。これが何かの手がかりになりそうです」
乃愛は鍵を拾い上げ、薄暗い日差しに照らされるその光景に目を細めた。
「幽霊騒ぎが関連しているのかも?」
彩音の目がキラリと輝く。彼女は好奇心旺盛であり、探偵の調査活動に深く興味を持っている。
「推理してみましょう。まず、この屋上で幽霊が目撃される原因、またこの鍵の持ち主、そしてその持ち主がこの地点とどのように関係しているのか」
乃愛は鍵をじっと見つめる。どうやら、この鍵が受け取った彼女たちを新たな謎へと導くかもしれない。
「じゃあ、屋上の近くにあるラーメン屋さんに行ってみない?この近辺の住民や店主に話を聞くのもいいかも!」
彩音が明るく提案する。乃愛は頷き、そのアイデアを受け入れた。しばらくして、彼女たちは屋上を離れ、大学の近くにあるラーメン屋へと足を運んだ。
店内に入ると、煮たてのスープの香りが漂っていた。狭いカウンターの奥には、年齢不詳の中年男性が一人、店主として働いていた。彼はラーメンの盛り付けに夢中で、その表情は険しかった。
「すみません、少しお伺いしたいのですが…」
乃愛が尋ねると、店主は一瞬動きを止めたが、すぐに背を向けてしまった。
「あなた方、また幽霊騒ぎの話をしに来たのか?」
彼の声には苛立ちが滲んでいた。色々な人に質問されるのが面倒なのだろう。
「いいえ、実はその事件を解決しに来たんです。あの鍵を見つけたのですが、何か心当たりはありませんか?」
乃愛は冷静に尋ねた。まだ見ぬ謎に挑む探偵の態度は、決して怯まぬものだった。
店主は驚いて振り向いた。
「鍵?」
そしてちょっと考え込み、
「それがどうしたというんだ?」
と口を開いた。
「事件はあなたに何か関係があるかもしれません。この屋上での幽霊が出る理由やその鍵について知りたくて…」
乃愛は一息ついてから話を続ける。
「私たちの調査では、何かの詳細を知っている可能性がありますわ」
と。
しかし、店主の反応は予想外だった。
「あんなことには関わりたくない。興味があれば、あの屋上に行ってみなよ。ただし、幽霊の正体を知ったら後悔するかもしれんぞ」
そう言い残し、店主は再びラーメンの作業に戻ってしまった。
そこで乃愛は彼を放置し、彩音の方を見る。
「何かを隠しているようですわ」
彼女の目が不思議に輝いていた。
「うん!拉致って聞いてこようか?」
彩音が元気よく言うが、乃愛はその提案には首を振る。
「その必要はありません。この事件を解決するのは私たちの役目ですから」
それから、乃愛と彩音は店内を少し見回した。壁に飾られた写真やメニューが目に入る。そこには、家族写真が並んでいるのだが、その中には馴染みのない顔もいた。
「乃愛ちゃん、あの写真、誰が写っているのかな?」
彩音が気になったように尋ねる。
「たぶん、店主の家族かしら。でも、肝心の顔が出ていないようですわ」
乃愛は興味をもってつぶやいた。謎が一つまた増えた。
「じゃあ、もう一度屋上に戻りましょう!何か他の手がかりが残っているかもしれないわ」
彩音の意見を聞き、乃愛は頷いた。幽霊の正体に迫るには、さらに情報が必要だった。
再び屋上に戻ると、静まり返った空間には不気味な雰囲気が漂っていた。乃愛は鍵を持ちながら、周囲を観察する。何かが彼女を呼び寄せるかのように感じた。
「不思議な気配を感じる…」
乃愛はしみじみと呟いた。
「何かがここに存在しているような、そんな気がしますわ」
すると、突然、再び冷たい風が吹き、背筋が凍るような音がした。彩音は驚いて彼女の肩をつかんだ。
「え、えぇっ!やっぱり本当に幽霊が出るの?!」
彼女の純粋な恐怖が伝わってくる。
「ちっとも恐れずに、彩音さん。幽霊の正体は人間ですわ」
乃愛は冷静に言い切った。
「でも、どうして幽霊になりたがるのかしら…?」
彩音の目が真剣になってきた。
「本来の姿を見せない理由、それが必要だからですわ。人間には様々な事情がある」
乃愛はこの疑問に答えた。
調査を続ける中で、彼女たちは再び入り口の近くにあった物音に耳を澄ませた。その音は、まさしく人間の声だった。
「あんたたち、ここに何をしている?」
その声に振り返ると、意外にも親しそうな顔をした男が現れた。
「あなた、ラーメン屋の店主の息子ですか?」
乃愛はその男を見つめる。
「そうだが、どうして…?」
男は警戒の色を見せたが、乃愛の洞察力には抗えなかった。
「実は幽霊騒ぎについて調査をしているのです。この近くで何か不思議なことがあったのかしら?」
乃愛は友人に目をやり、同時に男をも観察する。
「ただの噂さ」
彼は未だに疑念を抱いている様子だった。
「俺たちの家族が悲惨な問題を抱えていて、変な声も聞こえることがある…でも、それは家族のこれまでの歴史なんだ」
その言葉を聞いて、乃愛は心の中でピンとくるものを感じた。
「遺産争い、ですわね。あなたの家族間で何かが起こっているのかもしれません」
彼女の想像が正しければ、幽霊の正体はこの問題によるものだ。
「そうだ。我々は家族の関係がうまくいかず、何かの拍子に過去を想い返してしまうことがある。幽霊が現れるという話も…」
男は言葉を切った。
「この鍵は、何かその手掛かりになるのかしら?」
乃愛が鍵を見せると、男の瞳が驚きに変わった。
「それは俺たちの家族の家の鍵だ」
彼の言葉は、事実を更に明るみに出した。その鍵は、かつての家族の幸せな記憶を結びつけるものだった。しかし、遺産争いによってその幸せは隠れてしまっていたのだ。
「私たちが幽霊の正体を作り出していたんでしょう。過去の自分たちに囚われて、関係がうまくいかない」
男は後悔を滲ませて言った。
その時、乃愛の胸に閃くものがあった。
「あなたたち家族の問題を解決すれば、幽霊騒ぎも収まるのではないかしら。この問題に真剣に向き合うべきですわ」
男は強く頷いた。
「わかった。でも、一体どうやってそれを解決すればいい?」
そのとき、彩音が元気よく声を上げる。
「私たちを手伝います!この事件を一緒に解決しましょう!」
乃愛は彼女の言葉を聞き、強い感覚を持つ。彼女たちはこの人物とも協力し、幽霊騒ぎを収束に導く可能性を秘めていると確信したのだ。
「まずは家族に話をしましょう。その後、みんなで一緒に話し合い、解決策を見つけるのですわ」
乃愛は意気込んで言った。
その日の夕刻、乃愛、彩音、そして男は家族全員を集め、長年の遺産争いについて話し合うことにした。最初は緊張が走ったが、乃愛の呼びかけで次第に互いの気持ちを語り合い、お互いの気持ちを理解する場となった。
それから数時間後、彼らは最終的に和解することで合意した。彼らの不安や恐れが、幽霊と化し、過去に引きずられていたことを理解したのだ。
数日後、屋上で起こっていた幽霊騒ぎは自然に収束し、今までの雰囲気は全く変わった。人々は屋上でのあたたかい思い出を語り始め、幽霊の訪れも消えたようだった。
「よかったね、乃愛ちゃん!私たちの力で事件が解決できた!」
彩音が嬉しそうに言った。乃愛は微笑み、
「これもすべて、家族が協力し合ったおかげですわ」
彼女は心の中での満足感を感じた。
これこそが、彼女の探偵活動の真髄を示すものだった。人々の心の絆を結びつけることが、ただの事件解決を超えた存在になるとは、彼女は予想もしなかった。事件が解決した今、乃愛は新たな挑戦に向けて歩み出すような明るい期待感を抱いていた。