第25話 「探偵の冒険と画家の葛藤」

久遠乃愛は、キャンパス内の医務室前で立ち止まった。風が吹き抜け、彼女の黒髪が揺れる。乃愛は表情を引き締めて、手に持ったメモを見つめた。そこには
「教授の机に謎の資料が置かれた」
とだけ書かれている。依頼人は、医療系の教授で、同じ大学に勤める彼女の友人だった。

「乃愛ちゃん、どうするの?」
彼女の横にいた雪村彩音が声をかける。

彩音は明るい茶髪のボブカットの女性で、いつも元気いっぱい。彼女は乃愛の幼馴染で、いつも事件の手伝いをしてくれた。

「今から教授に話を聞いてみますわ。何か手がかりが掴めるかもしれませんので」
乃愛は淡々と答えた。

「じゃあ、私も一緒に行くよ!」
彩音は率先して医務室のドアを開けた。

医務室の中は静かで、白い壁が余計に緊張感を盛り上げる。教授は机に向かい、深いシワが刻まれた額に手を当てて悩んでいる様子だった。

「教授、少しお話を伺えますでしょうか?」
乃愛が切り出すと、教授は顔を上げた。

「久遠さん、あなたは探偵なんですか?」
教授は少し驚いたようだった。

「はい。私と彩音さんが調査しますので、どうかお話を聞かせてください」
乃愛は自信ありげに言った。

教授はため息をつき、椅子に深く座り直した。
「実は、私の机の上に、見知らぬ資料が置かれていたのです。内容は非常に奇妙で……」

「どのような内容だったのですか?」
乃愛の目が輝く。

「それが……何かの絵に関するものでした。画家の名前も書かれていた。しかし、その人物は数年前から姿を消しています」
教授は言葉を詰まらせた。

乃愛は資料の具体的な詳細を聞いた後、少し考え込んだ。

「それでは、その画家の人について調べてみる必要がありますわね」
乃愛は冷静に言った。教授も頷き、彼女たちに資料を渡そうとした。しかし、急に背後から訪問者が現れた。

「少々お邪魔します」
その声は低く、落ち着いたものだった。振り返ると、そこにいたのは高齢の画家、近所に住んでいる画家だった。彼は痩せた体で、杖をついて歩いてきた。

「あなたがここにいるとは、まさか私の作品にきたのか?」
画家は興味津々といった表情で乃愛たちを見つめた。

「実は、教授の机に資料が置かれていたもので……それについてお話を伺いたいのですわ」
乃愛の言葉に、画家の表情は一瞬固まった。

「それは私の作品です。私の名前は山田といいます」
山田は頷き、冷静に説明を始めた。
「しかし、なぜあなたたちがそれを知っているのですか?」

「依頼を受けたのです。あなたの名前が資料に記載されていたとのことですから、何か関係があるのかもしれません」
彩音が補足した。

山田はしばらく考え込んでから口を開いた。
「私の作品には、社会的な期待に応えることができないフラストレーションが込められているかもしれません。しかし、私はただ手放したくはありません」

乃愛は注意深く彼の言葉を聞き、画家の目に何か悲しみを感じ取った。
「犯人を知っていますか?」

「犯人? 私ではありません! 私の作品を愛してくれる人にしか見せることはない!」
山田は慌てて言った。

「静かにしてください、山田さん。冷静になってください」
乃愛の言葉に、彼の動揺は少し収まった。

「私がその資料を見つけてから、一晩中考えていました。あれは私の心の叫びです。恥ずかしかった……まさか、こんな形で公開されるとは思っていませんでした」
山田は肩を落とした。

「私たちにはまだ手がかりが必要ですので、詳細についてもう少し教えていただけると助かりますわ」
乃愛はすかさず引き止めた。

その後、山田は自身の絵にまつわる秘密や過去の困難について語った。しかし、乃愛は彼の言葉の裏に潜む真意に感付いていた。

「これは単なる資料ではないわ。何か目的があって、意図的にあなたの作品が選ばれたのかもしれませんわね」
乃愛が一つの仮説を立てると、彩音もその意見に納得する。

「でも、どうやって確かめるの?」
彩音は不安げに尋ねる。

「今は手がかりが足りないわね。でも、もっと調査を続ける必要があります」
乃愛は意を決して言った。

その後、彼女たちは大学の図書館へ向かうことにした。資料や過去の展覧会の記録を調べるためだ。図書館の静寂が逆に心地よく、乃愛は集中して調査に没頭した。彼女の推理力が試される瞬間だった。

彩音がふと声をかけてきた。
「乃愛ちゃん、見て。この写真、山田さんの作品の展示会が載ってる!」

乃愛はすぐにそのページをめくる。
「これ……確かに山田さんの作品が展示されているわ。でも、ただの展示会じゃない。特定のテーマがあったみたい」
彼女の目は熱くなり、あたらしい情報に興奮が広がった。

「何か得られる手がかりがあるかも!」
彩音も目を輝かせる。

乃愛は資料を一つ一つ確認し、鋭い視線を向ける。彼女の頭の中でピースが組み合わさるような感覚があった。それはまるでピアノの鍵盤のように、彼女が持っている情報を一つ一つ弾いているようだった。

その時、彼女の心にある思いつきが浮かび上がってくる。
「これが犯罪の動機に関係しているかもしれないわ」

だが、その時、気になる一文が目に留まった。
「展覧会中、特別に招待状を持つエリート層の中に、何人かの怪しい人物がいたらしい……」

その名前は、かつて山田の作品を
「時代遅れ」
と非難していた評論家であり、かつての友人でもあった。その背景が乃愛の頭の中で渦巻く。

「彩音さん、これを見てください。山田さんと交流があった人たちの中に、怪しい人物がいるかもしれませんわ」
乃愛は力強く宣言した。

「その人たちを尋ねてみる?」
彩音が提案する。

「そうですわ。それが良いでしょう。さっそく行ってみましょう」
乃愛は旨く動き出した。

次に彼女たちが訪れたのは、山田の過去の友人であり評論家である田中という人物の家だった。田中は独特なオーラを持つが、果たして彼から何が得られるのかが鍵だった。

ドアをノックすると、田中が顔を出した。
「君たちは、なぜここに?」

「山田さんの昔の友達として、少しお話したいのですわ」
乃愛はスムーズに切り出した。

田中は目を細め、しばらく考える様子を見せた。
「ああ、あの男か。何か問題でもあったのか?」

「実は、山田さんに関する資料が教授の机に置かれたんです。それはあなた方の交流に関係があるかもしれません」
乃愛が静かに言う。

田中の顔が驚きに変わる。
「それはまるで私の言葉を信じさせるための証拠を探していると同じだ」
彼はつぶやいた。

「それだけではありません。あなたと山田さんの関係が、彼の絵をより深く読み解く一つの鍵になりそうですわ」
乃愛は毅然とした態度を崩さずに続けた。

田中はついに真実を認める。
「彼には多くの才能があった。しかし、その才能は周囲から期待されるもので、私のような評論家がそれに対して批判的であれば、それが彼を破壊するような結果を生んでしまった。私の言葉が彼を追い込んだのだ」
彼の言葉には、後悔の色が見え隠れしていた。

「期待が彼を苦しめたのですね。それが彼のフラストレーションに繋がったのではないでしょうか?」
乃愛が問いかけると、田中は重い口を開いた。

「そうだ。社会が彼に望んだものは、彼自身が求めていたものではなかった。だから、彼はあの資料を使って何かを伝えようとしたのかもしれない」
田中の目に一片の光る涙が宿る。

その瞬間、乃愛の中にあるすべてが結びつき、自由に流れ込んでくる。
「山田さんの意志を持った誰かが目を通そうとしたのですね。そして、そのことが再び彼を縛ることになる」
乃愛は声を低くして言った。

「おそらく、この件はこれからも続いていくでしょう。彼がまた私に会って、私を正当化するために来るのではないかと」
田中は沈んだ声を残した。

乃愛は席を立ち、彩音と一緒に去ろうとしたが、何かが引っかかる。彼女の心の中に消えない疑問が存在する。それがどのように解決されるのか、それが乃愛の心に不安を与えていた。

「坦々と進めましょう。この辺りで全体像を把握できたようですわ。次は、山田さんにもう一度会うべきだと思います」
乃愛が彩音に提案した。

さらに深い調査を行う中で、山田が抱えていた葛藤が浮かび上がった。彼の作品の背景には社会的な期待によるプレッシャーが根強く、そのせいで彼はますます孤独感を深めていた。

乃愛たちは再度医務室に案内されると、山田はすでに待ち構えていた。
「どのようにして私の過去を探り当てたのか?」
山田の目に疑念が浮かんだ。

「私たちはあなたの過去を知り、あなたの心まで知りたいのですわ」
乃愛が静かに答えた。

「私は社会に縛られていた。期待の中で、どうにかこうにか生きているつもりでいたが、それが私を追い詰めたんだ」
山田の声は震えていた。

その言葉を聞いた彩音が思わず発言する。
「そんな思いを抱くなんて、誰がでも怖いよ。だから、あなたは一人じゃない」

山田は彩音の言葉に笑顔を浮かべ、彼女の温かい気持ちに感謝した。

乃愛は注意深く一歩ずつ前に進んだ。
「そして、あなたの作品は誰かに受け入れられているはずですわ。あなた自身も犠牲者と同じように、社会の圧力から逃れる自由を必要としていると感じますの」

山田はゆっくり頷き、心の中にあった感情が徐々に和らいでいくのを感じた。彼は新たな道を見出そうとしていた。

「あなたたちが私を理解してくれるのか?」
山田は疑問系の仕草をしたが、その声には幸せが宿っていた。

乃愛は笑顔を浮かべる。
「私たちはまだ全貌を解決できていません。ですが、あなたがどのように感じているのかを知れれば、きっと解決のヒントになるはずです」

その瞬間、空気が変わった。山田は上を見上げ、真剣な顔で回答した。
「ありがとう……己の弱さを認められると、思いも寄らない道が開かれるものだ」

乃愛はその決心が本人の内にあることを信じる。そして、山田は新たな一歩を踏み出す瞬間を迎えた。

事件は解決した。問題は、今後どうしていくのかを探ることであった。

乃愛と彩音はその夜、静かなキャンパスを歩きながら未来について語り合った。山田が再び作品を描き始め、社会の期待に反発し、独自のアートを作り出すことを心から願った。

「乃愛ちゃん、また別の依頼があるかもしれないね」
彩音が笑顔を見せる。

「もちろんですわ。探偵としての冒険は、まだ始まったばかりですから」
乃愛は微笑みながら前を向く。彼女の黒髪が月明かりの中で輝く。

ふたりの探偵としての道のりは果てしなく続くのだった。