久遠乃愛は曜日が変わるたびに、学生生活という名の狭き世界に安寧を求めていた。しかし、彼女の探偵としての一面は、次の依頼が訪れるのを待ち望んでいた。今朝もそんな静かな日常が続くと思われたその時、彼女の幼馴染である雪村彩音が期待に満ちた顔で彼女の元へ駆けてきた。
「乃愛ちゃん、すごいことが起きたの!」
彩音が息を切らしながら言った。
「何があったのですか、彩音さん」
と乃愛は微笑みながら聞き返す。
「動物園で見たこともない珍しい動物が逃げちゃったんだって!」
彩音の瞳は輝き、明るさが乃愛にまで伝わる。そんな彼女に乃愛は一瞬ドキリとする。しかし、すでに何か妙な匂いがする。
「それは興味深いですが、誰かがきちんと対処しているのではありませんか?」
乃愛は思索を巡らせる。
「でも、動物園のスタッフも手をこまねいているみたいなの」
「もしかしたら私たちに手伝えることがあるかも!」
乃愛は深く考える。
「待ってください。逃げた動物がどうして逃げたのか、そこの原因を探ることも重要ですわ」
彩音は何かしら根拠があるのではないかという目をしている。
「じゃあ、早速動物園へ行こうよ!」
二人は車を飛ばし、すぐに動物園に到着した。辺りは賑わいを見せているが、どこか緊張感が漂っていた。乃愛は、自らの冷静さを取り戻し、動物園のスタッフから話を聞くことにした。
館内に入ると、スタッフは襟を正して、緊張した様子で彼女たちを迎え入れてくれた。一通りの説明を受けると、動物の逃走は特別な理由があるようだ。動物は、一種の聴覚過敏のある生物で、普段聞こえないような音を聞き取ることができる。
「それで、逃げたのは何という動物か教えていただけますか?」
乃愛は質問をした。
「それは、アフリカの珍しいフクロウです。彼は非常に敏感で、騒音のせいでパニックになったようなんです」
スタッフはそう説明した。
「音…?何か不穏なものがあるのでしょうか」
乃愛は自分の直感を疑った。
「あっ、匂いがする部屋があったよ!」
彩音が明るく声を上げる。
乃愛はその言葉を聞いて気づいた。動物逃走の原因が音だけでなく、
「匂い」
にもあるのかもしれないと。乃愛と彩音は、スタッフに案内されて該当の部屋へ向かった。
そこには異様な匂いが広がっていた。どこか芳香な香りの中に、苦味、そして微かな鉄の臭いが混じっている。乃愛はその匂いの正体を探るために、しばらく静かに目を閉じて、自身の直感に耳を澄ました。
「乃愛ちゃん、何か分かった?」
彩音が顔を寄せて尋ねる。
「この匂い、まるで図書館の古い本のような…何か不穏な気配を感じますわ」
乃愛は言った。
「本の匂い?それってどういうこと?」
彩音は首をかしげた。
「ちょっと待って、図書館といえば、あそこにいる年配の男性…最近よく見かけますね。なんだか彼からも同じ匂いがする気がしますわ」
その時、乃愛の中で何かが動き出した。不穏な空気が漂ってくる。
「彩音さん、私たちはその男性と直接話してみる必要がありますわね。彼に動物の逃走に関して知っていることを聞いてみましょう」
「分かった。じゃあ、急ごう!」
彩音は再び意気揚々と動き出した。
二人はさっそく大学の図書館へ向かった。淡い日差しが差し込む中、本のページをめくる音が心地よかった。しかし、乃愛の心中には緊張が走る。彼女たちが探す年配の男性は、すぐに見つかった。
「失礼いたします。お話を伺えますか?」
乃愛は勇気を振り絞って声をかけた。男性は驚いた表情をしながらも、すぐにニヤリと笑った。
「君たち、何をしに来たのかな?」
高揚した表情を崩さず、何かを隠そうとするように彼は言った。
乃愛は少し引っかかるものを感じたが、そのまま話を進めることにした。
「最近、動物園で珍しい動物が逃げたと聞きました。何かご存知でしょうか?」
男性は一瞬沈黙した後、肩をすくめた。
「動物が逃げたのか。笑えるね。世の中はどうなっているのか、私には全く理解できない」
「つまり、あなたは逃げたその動物について何か関係しているのでしょうか?」
乃愛は指摘する。
男性の表情が変わった。その瞬間、彼の目に何かが宿った。乃愛は確かな直感を得た。
「あなたはこの匂いの主ですか?」
「いや、私はその動物を見つけることはできない。しかし、私も昔は教師だった。それで、あの動物たちにできることは光などの知識だけだと思う」
彼は頭を抱えた。
乃愛はその言葉に耳を傾ける。それが何を意味するのか、彼がなぜあの不穏な気配を放っているのかを考え続けた。
「あなた」
と呼びかけると、男性の視線は強く乃愛と絡み合った。
「あなたは教師として、何を教えてきたのでしょうか?」
色々な可能性が一気に浮かぶ。
「反抗心が芽生えたのかもしれんな」
彼は低い声で呟いた。
そこに彩音が割って入る。
「反抗心って!先生は動物植物園で教えてきたはずよ!」
彼女がいつもより大胆に言った。
「だから、私はあの動物たちを解放することが重要だと考えた。彼らの自由を奪う存在には罰が必要さ」
年配の男性は彼の信念を語る。
乃愛はすぐに気づいた。逃げた動物が自由を求めているのは、年配の男性によるものかもしれない。動物が逃げたのは、彼の教えを拒否しようとしているからだろう。
「あなたが動物たちに何かしたのですか?この匂いがそれを示唆していますわ」
と乃愛は切り込んだ。
「それは…」
彼は少し戸惑い混じりに言った。
「私は何も」
「では、私たちはこの件を解決しなければなりませんわ」
乃愛は決意を持った表情で言った。
一行は再び動物園に戻った。直感的に逃げているフクロウを探しまわる。行きかう人々の声や笑い声が不安を募らせ、乃愛は逃げ去ったフクロウのことを思い続けた。
「乃愛ちゃん、あっちにいるよ!」
彩音が指をさすと、フクロウが高い枝の上にいた。それはまるで自由を求めているかのように、飛び立とうとしていた。
「行こう、彩音さん、フクロウを捕まえましょう!」
乃愛は彩音と手を取り合って駆け出した。
二人はフクロウを追いかけて、枝を登り、彼の元へ近づこうとした。しかしフクロウはなかなか捕まらない。彼は他の動物たちと違い、とても素早かった。
「フクロウを網で包めばどうかしら?」
乃愛は彩音に提案した。
「網なんて持ってないよ!」
彩音は手を叩いて笑った。
「でも、逃がすなんて絶対に許せないよ!」
「少し待ってください。私の計画がありますわ」
乃愛は背後でその男性のことを思い出した。
「彼の反抗心が、逆にフクロウもまた逃げ出そうとしているのですわ」
「でも、どうするの?」
彩音は不安そうだった。
「フクロウに近づくためには、その男性に再び切り込む必要があるかと思いますわ」
乃愛はその場の雰囲気を感じ取って、彩音に話した。
二人は急いで男性の元に戻った。彼は相変わらず図書館の一角で座っていた。
「あなた、何をしてるの?」
「フクロウに彼の力を借りることが重要になっているのですわ!」
乃愛は高らかに宣言した。
「何?彼は私の言葉を無視しているというのか」
と男性は驚愕した顔をしていた。
乃愛は強く真剣な目を向けた。
「あなたの耳が私たちに聞こえている限り、フクロウのことは教えてください。あなたに見える世界は、彼にも存在しています」
必死に説得を試みる乃愛に対し、その男性はゆっくりと目を閉じる。
「私はあの子のために考え続けてきた。彼のように生きる権限が与えられるべきだったのかもしれない」
二人は、部屋が静まり返り、間接的な会話の流れが生まれたことを感じた。
「フクロウはまだ逃げています。自分の意思で自由に飛び立とうとしているかもしれません。でも、あなたがそのためにどう必要なのか知る必要がありますわ」
「分かった。私も彼を解放したい。しかし、どのように…?」
乃愛は優しく微笑んだ。
「解放するためには、その子を無視しないこと。あなたが教えてきたことであれば、全力でサポートしますわ。あなたの言葉がフクロウに届くよう願っていますから」
しばらくの間、男性は目を閉じたままだったが、ある瞬間、彼は目を開けて話した。
「私が最初に教えた時、その子は素晴らしい力を持っていると知ってはいました」
「それがすべての始まりでしたか?」
乃愛が再び訊ねると、男性の無表情の背後から力強い光が生まれていた。
「よかれと思う行動が、逆になってしまうこともあるのだと」
そのようにして、彼はフクロウを捕まえる術を見つけた。彼の力は、他の動物たちを束ねるものへと変化したのだ。
結局、短い時間とは言え、動物たちは聴覚から解放され、彼の教えは新たな意味を持ち直した。乃愛と彩音はその後、すぐにフクロウの元へ戻り、耳元で
「君も自由なんだ」
と囁いた。
フクロウはその瞬間、目を見開き、彼女から自由を感じることができた。
「やったね、乃愛ちゃん!」
彩音が喜びを表現する。
乃愛もほほ笑みかけた。
「これで動物たちは解放されました。長く苦しい道のりでしたが、無事に解決できましたね」
その後、年配の男性は、自分の信念に従い、本の中に彼の哲学を記した。この事件は、彼にとっても大きな転機となったのだ。
「私も少しは役に立てたのかな?」
彼は再び微笑み、彼女たちの助けに感謝した。
「私たちはただの羨望から教えを学んだんですわ」
乃愛は冗談の一環として眺めながら彼に伝えた。
その後、乃愛と彩音は大学へと戻り、日常の喧騒へと帰っていった。探偵としてのスリルを感じる度に、彼女たちの絆はさらに深まっていくのだった。