麗司はマンションの廊下の静けさに耳を傾け、無意識に手のひらを握りしめた。心臓が高鳴り、周囲の空気が重く圧迫してくる。彼の選んだ道は不安に満ちていたが、どこか興奮を伴うものでもあった。外の世界には、ゾンビたちが闊歩しており、人間の知らぬ間に、彼らの縄張りができていたのだ。それを乗り越えなければ、水源を見つけることすらできない。
麗司は慎重に一歩を踏み出した。足音を響かせないよう、最小限の動作だけを心がけた。彼は思考を巡らせ、周囲の状況を想像した。目を閉じて耳をすませば、彼の心の中に居る
「オタク」
からの知識が、サバイバルの手引きとして役立つことを期待していた。しかし、現実は彼の思考とはかけ離れ、厳しい現状が立ちはだかる。
廊下を進むにつれて、彼は外から漏れ出す異臭に気づいた。腐った肉が焦がされたような嫌な匂いと、生温かく湿った空気が、彼を包み込む。体が拒絶反応を示しそうになるが、それでも動かなければならない。彼は立ち止まることなく、意を決して外へと進んでいった。
マンションのエントランスの扉を開けた瞬間、麗司は視覚の世界に飛び込んだ。目の前には、テーブルや椅子が転がり、ガラスの破片が散乱した静まり返った街の風景が広がっていた。遠くでゾンビのうめき声が響き、彼の心を不安にさせた。この状況を
「漫画やアニメで見た光景」
だと自分に言い聞かせながらも、現実の重さを否応なく感じる。
「動かなきゃいけない」
麗司は自分に言い聞かせ、進むべき方向を考えた。まずは近くのスーパーを目指す。食料を探しに行くと同時に、もしかしたら水が手に入るかもしれない。彼の頭には、必要な物資を取るためのプランが浮かんでは消えた。徐々に意識を夜の世界に切り替えつつ、周囲のゾンビたちに気を配った。
街の大通りは、壊れた車両や破壊された看板で埋め尽くされていた。いつもなら賑わいを見せるはずの通りが、今や死の静寂に包まれる。麗司は足音を立てないよう、意識的に歩み方を調整した。彼の体は無意識のうちに映像でトレーニングした動作を思い出し、恐怖を乗り越えて前へと進んで行く。
途中、彼は動かなくなったゾンビの姿が目に入った。腐った衣服に覆われたその姿は、人間だった頃の面影を残す。麗司は息を呑んだ。これが彼の目指す世界の結果だというのか―恐怖心が胸の内で渦巻く。
「それでも進まなければ」
。
彼はスーパーの近くに着くと、心臓が高鳴る。ゾンビたちが集まりやすい場所だと直感したからだ。臆病な自分を抑え、彼はまず建物の裏側に回り込むことにした。そこには、より安全に物資を探し出すための道が見えるからだ。背後を警戒しながら、彼の身体は自然と緊張感をまとっていた。
裏口から覗くと、少し薄暗くなりつつある内部が見えた。苦々しい腐敗の匂いが立ち込めており、素早く外に出てこなければならないと悟った。十分な時間をかけて見渡し、周囲に誰もいないことを確認した後、麗司は意を決して中に入った。
スーパーの内部はひどく荒れていた。開かれた棚から商品が転げ落ち、汚れた床に散らかっていた。敵は周囲にはいない。しかし、麗司は一瞬の隙も作らず、冷静に作業を進める必要がある。彼はまず最初に水のボトルを探し始めた。運が良ければ、まだ使用可能な飲料水があるかもしれない。
あたりを見渡しながら、彼は早速歩み寄った棚の隅に目をやった。いくつかのペットボトルが落ちているのがちらっと見えた。距離を置き、急がないように、一つずつ慎重に取っていく。
「まさか、こんな所で生きるとは思ってなかった…」
心の中でつぶやく。かつての自分に戻りたくても、どれだけ願ったとしても戻れはしない。目の前の事をまず片付けることが、今は重要だった。
次に彼が目を向けたのは、食品棚。その中には、インスタント食品や缶詰がまだあるかもしれない。凄まじい光景の中で、彼は突き動かされるようにその棚に手をかけた。箱が崩れ落ちそうになり、彼は動きを加速させた。
不意に後ろから物音が聞こえた。周囲を振り返ると、少し離れたところで一体のゾンビが物音の元に向かってゆっくりと近づいてきていた。麗司は一瞬、動けなくなった。冷静さを取り戻しながら、自分の体に言い聞かせる。
「落ち着け、静かにしろ」
すぐさま身を隠すのではなく、何かを考える時間が必要だった。ここで逃げ道を確保し、物を取るだけ取る。サバイバル生活が彼の頭の中で回る。
ゾンビが方を向く方向に、彼は足音を立てずに進もうとした。しかし、下になっているガラス片に少し間違って足を引っかけてしまう。音が響く。背後が解る。その時、ゾンビが急に振り返ってこちらを向いた。
彼の心臓は高鳴り、視界が狭くなる。選択肢は二つだ。立ち向かうか、逃げるか。だが、どちらにしても冷静さを欠いてはならない。
麗司は咄嗟に別の棚の陰に身を隠し、小さく息を潜めた。慌てずに、ゆっくりと行動を見守る。その間に、冷静に思考を巡らせ、どのように脱出するかを考えた。
「ここで無駄に動いたら終わりだ」
何とかして、肝心の物資を持ち帰りたい。それに、冷静さを失わない限り、彼にはチャンスがあるはずだ。ゾンビが動き回る中、彼自身がスニーカーを履いて瑣末な隙をついて脱出できる行動を取ろうと決意した。
すぐに、ゾンビがこちらに近づいてくる。バックパックに入れる物をすぐに選ばなければ。手の中にはもう何か持ち込んだ飲料水のボトルがある。彼は、スーパーの奥にある水専用ディスペンサーを確認しつつ動き出した。だが今度はゾンビが自分に気づく前に済ませなければ―。
背後を振り返らず、目の前の水を確保する。急ぎ足で進み、小さなタッパーを見つけて水を確保した。コンビニの製品の中には自分の嗜好を思い出させてくれるものがあったが、今は一切合切、物資の取得に専念する。
急かされるように、麗司はほかの流動的な物を考えた。彼は急激な時の流れの中で動かねばならない。これ以上、ここに居続けていても安全は見込めない。物が取れたことに安堵する間もなく、彼の心は次の場所へと急かされていた。
どんな敵が待ち構えているのか、全くわからないまま、再び廊下へ出て行く。心臓が大きく脈を打っているのを感じながら、麗司はすぐに次の行動に移す準備を始めた。次に何を探し、どのように行動するかを思案していく。適切な行動と感情を分けることが、彼が生き延びるための必須条件だった。
ついに水源を確認し、物を取ることに成功した彼の胃の中には、希望という名の小さな期待がマグマのように膨張していった。街の喧騒や恐怖がどれほど迫るものでも、彼は次にどう動くべきかを考えなければならなかった。
その日から、新たに前を見据えた麗司の生活が始まっていく。生存の厳しさと孤独。それを乗り越えるためには、自分にしかできない道を照らし出さねばならなかった。