黒川梨乃は、放課後の保健室で一人静かに過ごしていた。空いている二つのベッドのうち、一つに腰掛けている彼女の目は、窓の外を流れる雲に向けられている。季節は春から夏へと移ろい、柔らかな陽射しが保健室を包んでいた。
「和真くん…今日も来てくれるかな」
まるでささやくように呟く。彼女の心の中に渦巻く感情は、ただ彼の名を呼ぶだけで体全体を温かくが包み込み、微笑みを引き出す。彼女は村上和真、彼女の同級生で、かつ彼女が密かに恋心を抱いている相手のことを、心の中で思い浮かべていた。
村上和真は、どこにでもいる普通の男子高校生だった。しかし、彼女にとっては特別だ。彼の柔らかなふんわりとした髪、いつも優しく微笑むその顔、そして、彼の天然な性格が、梨乃の心に灯をともしていた。彼のことを考えるだけで、彼女の胸は高鳴り、眩い光に包まれたような幸福感に満たされる。
彼女はかつて、彼に思いを直接伝えようとしたが、意地を通してそれをやめ、その思いを秘めることに決めた。すると、それがますます彼への独占欲を呼び起こすことになるとは、彼女自身も予想外だった。
保健室のドアが軽くノックされ、彼女の心臓はドキリと跳ねる。
「和真くん、かもしれない…」
頭の中で期待が膨らみながら、彼女はそのドアに視線を注ぐ。
「入るよ」
その声。彼女の心は一瞬で喜びに溢れる。ドアが開くと、はにかんだ表情の村上和真が入ってきた。彼は校内の保健室に来ることが多く、いつもあどけない笑顔で困っている友達の相談に乗るような、お人好しな性格だった。
「黒川、どうしたの?」
と、彼は心配そうに彼女に尋ねる。
「何も…特に大丈夫ですわ」
と、梨乃はお嬢様口調を崩さずに答える。
当たり前のようにその言葉で返す彼女自身の表情の裏側には、彼に会えたことへの嬉しさと、彼に素直な自分を見せられないもどかしさが同居している。
「和真くん、あなたのそばにいたい」
と心の中で叫ぶ彼女の想いは決して彼に届くことはない。
和真はノートをそのままベッドの上に置いて近づいてくる。そして、何も気にせずに横に並び、梨乃のことをただ見つめる。
「何かあったの?心配だよ」
「そうですわ…私、少し疲れていて」
そう言いながら、無意識に和真の方をチラリと見る。彼は、何も気にせずに自分のノートのページをめくっている。まるで彼女の心の痛みなんて、知らないかのように。しかし、彼女のドキドキは収まらない。
梨乃の目の前には、優しい顔を持つ彼がいる。彼女は心の奥でドキドキしながらも、少しずつ彼との距離が縮まっている気がして、幸せな気持ちに満たされる。
「ねぇ、和真くん。どうしてそんなに皆に優しいの?」
と、少し意地悪な質問を投げかける。
「え?あぁ、こういうのは当たり前だと思うよ。助けが必要な人がいたら、放っておけないし」
と、和真は何の気なしに答える。彼の表情は真面目で、そんな言葉がどれほど彼女の心を温かくするのか、まるで理解していないようだった。
その言葉が彼の無意識の中でまた、梨乃の心を掻き乱す。彼には自分が特別な存在だということが分からないのだ。そのまま彼女の気持ちを意識することもなく、しばらく無言のまま彼との時間が続く。
「和真くん、私、あなたが好きよ。もっと、近くにいたい」
心の中で何度も叫ぶ。しかし、口に出せない。この重たい想いが、彼に届くはずがないと、自分を納得させる。彼は絶対的に鈍感で、あまりにも無邪気だ。
すると、和真はふと視線を梨乃から外し、窓の外を眺める。
「うん、外、良い天気だね」
と、無邪気にコメントする。その言葉に、梨乃の心からは純粋な願望と独占欲が交錯する。彼と一緒の時間がもっと長ければ、彼が自分のことを少しでも理解してくれるかもしれないと期待してしまう。
「もっと、私のことを見てほしい…」
と心の中でつぶやく。
「こんな気持ち、どうすれば伝えられるのかしら…」
そう思いながら、彼女は手のひらを自分の胸に当て、少しでも落ち着こうとする。すると、ふと目の前の彼が笑った。
「黒川の優しい顔、見ていると安心する」
「和真くんの純粋な言葉が、ますます私を悩ませる…」
「ありがとう、和真くん」
彼女は心の中でつぶやきながら、笑顔を見せた。
「そして、また私の愛しい気持ちが増えてきた」
と内心で静かに気持ちを高める。この愛の形が、他の誰かには理解できないことが梨乃には分かっている。彼女は彼の隣にいることがどんなに幸せなのか、どんなに辛くとも和真くんの側にいることを選択する覚悟ができていた。
その瞬間、彼女は決意した。
「今日こそ、何かを伝えよう!」
彼女の心の中で強く思うも、実際に行動に移すとなると緊張が走る。どうすれば、和真くんには言葉が届くのか。
「このまま独占するなんて、できるわけがない…」
と心の内で葛藤する。彼女は何度も考えた結果、
「手作りのお弁当を持っていけば、少しは彼も私の気持ちを考えてくれるかもしれない」
と結論に達する。定期的にお弁当を食べることを提案すれば、彼に自分の思いを伝える良い機会になると思ったのだ。
「例えば、明日の昼休みに二人でお弁当を食べるのはどうかしら。その時に、少しずつ心を開いてもらうのですわ」
梨乃は心の中で自分自身に言い聞かせる。
そして気持ちを整え、彼女は和真のことを見つめる。
「和真くん、明日、一緒にお昼を食べたい?」
彼女は、緊張しながらもその言葉を口にする。
和真は再び彼女を見つめる。
「うん、いいよ!」
そう笑顔で応えると、梨乃は心の中で嬉しさが弾けた。まさに、これこそ彼女にとっての
「チャンス」
であった。
次の日、梨乃は目を覚ますとすぐに、自分が作る
「特別なお弁当」
のために早起きした。朝から食材を揃え、心を込めて作る。彼女の頭の中は和真のことばかりで、普通のお弁当では伝わらないと自信を持って特製のものにすることを決めた。
心の中で想像した通りの仕上がりをみて、彼女は自分自身の努力に満足した。
放課後、梨乃は上機嫌で、一緒にお弁当を食べることになった和真を待つ。驚くほど嬉しそうに笑顔を浮かべ、和真が近づいてくる。
「黒川、今日のお弁当、どんなの?」
と、期待を込めた目で彼女の弁当を見つめる。その瞬間、彼女の心が躍り、鼓動が高まる。今こそ、自分の気持ちを伝えられるチャンスだ。
「和真くん、これは私があなたのために作った特別なお弁当ですわ」
心から誇らしげにそう言って、彼にお弁当を見せる。彼の反応が楽しみだった。
和真は少し驚いた表情を浮かべ、
「黒川、ありがとう。美味しそうだね!」
とそのままにこやかに言った。
「うん、こういうお弁当、何度も食べたいな」
まさに彼女の気持ちが通じた瞬間だった。心がふわふわして、嬉しさが溢れた。
「もっとこうしたら、和真くんに喜んでもらえるかしら」
と、彼女の想いがますます膨らむ。彼女は心の中で固い決意を新たにした。
「これからも、一緒に過ごしたい」
「和真くん、私だけの彼にしてみせる」
と強く願った。
こうして、いつも不器用な自分の気持ちを使って、ボンヤリした彼を脅かしてでも、確実に彼との距離を縮めようとする彼女の奮闘は続いていくのだった。
彼女の中には、和真への愛が育まれ、一緒にいるときの幸福感が強まっていく。彼の傍にいることで、彼女はどれほど幸せを感じるかを想い起こすたびに、その気持ちを伝えたいという気持ちが高まっていく。
彼女の心の中に生まれたこの愛は、視覚を超えた大きなものであり、今後も何度も和真のそばで育てていく大切にしていくつもりだった。
そんな日常のひと幕が、二人の心の距離を少しずつ一歩一歩、深めていくのを彼女は淡々と受け入れているのだった。