黒川梨乃は、美術室に設置されている大きなキャンバスを前にして、心を高鳴らせていた。今日は美術の授業で、クラス全体で一つの大きな作品を作る日だ。友人たちがカラフルな絵具を手に取り、笑い声をあげながら作業を進める中、梨乃の視線はすぐそばでひょこひょこと絵を描く村上和真に注がれていた。
「和真くん、すごく楽しそうですわね」
彼に向けて笑顔を浮かべながら言った。その時、梨乃の心の中では、彼への想いが溢れ出しそうになるのを必死に抑えていた。和真のふんわりした髪と、優しい表情は、梨乃にとってまるで太陽の光そのもの。そんな彼が他の男子に目移りしたらどうしよう…そんな不安が、胸の奥でざわざわと悪戯をする。
「黒川、何を考えてるの?」
和真がにっこりと笑いかけながら尋ねてくる。
「えっ、あ、あたくしは…、あ、あなたのことを考えていたのですわ」
思わず口を突いて出た言葉に、自分自身で驚く。いつもなら、もう少し手堅く言えるはず。ただ、彼と話すとどうしてもドキドキしてしまって、頭が真っ白になってしまう。
「あ、あたくしは…みんなで協力して、素敵なアートを作りたいと思いまして……」
「そうなんだ、みんなで力を合わせれば、きっと素敵なものができるよね」
和真が無邪気に返す。その笑顔に、梨乃の心臓はさらにドキドキする。ああ、どうして彼はこんなにもかわいいのかしら。私の気持ちに気づかないなんて、本当に天然なのですね。
授業が進むにつれ、梨乃は和真と並んで作業を始めることになった。まずは下絵を描くことからだ。梨乃はあまり絵心がないが、自分の意思を伝えるために一生懸命に描こうとした。和真が何気なく指を動かす様子を見ながら、心の中で
「和真くん、こっちを見て」
「和真くん、私に気づいて」
と叫ぶ。
「黒川、何を描いているの?」
和真が後ろから声をかけてくれた。彼の声は優しくて、まるで天使が耳元で囁いているかのようだ。
「えっと、素敵な風景を描こうと思っていますの」
思わず声が弾んでしまった。彼に褒められたくて、心が踊る。
「和真くんのために、何か特別なものをお作りしようと思いまして…」
「黒川が描く絵、楽しみだな」
彼が明るい声をあげる。それだけで梨乃は幸せな気持ちに満たされる。いつの間にか、彼との距離は縮まり、心の奥底で希望の光が弾けた。
和真の自然体な優しさに触れながら、梨乃はいつか彼に告白しようと決心する。『今度こそ、ちゃんとした形で想いを伝えられるはず…』そう、思いたかった。しかし、日々の生活の中で、彼の柔らかな言葉が真実なのか、友達としての優しさなのかを理解することができなかった。
「黒川、その風景、すごくいいね!」
と彼が嬉しそうに言う。梨乃は心臓が跳ね上がり、その瞬間、思わず手が震えた。
「おほめいただき、嬉しいですわ」
私は笑顔を必死に作る。だが、心の奥にある
「もっと、もっと近くで見てほしい」
という独占欲がじわじわと押し寄せてくる。彼の隣にいるだけでは足りない。その想いは、薄いキャンバスに描かれた色彩のように、鮮やかに広がる。
一週間が経った美術の授業。クラスメイト同士の合作アートは少しずつ形になり始め、梨乃は心の中でも様々な感情を抱えていた。けれど、和真の気を引きたくてたまらない彼女は毎日、彼に特別なお弁当を用意し、彼の手元でほくほくした笑顔を見たい一心だった。
放課後、友達と一緒に食べる仕組みにしたせいで、彼は気にも留めずに
「黒川の手が入ったお弁当、すごく美味しいね!」
と軽口を叩いた。その瞬間、梨乃の心が痛んだ。どうしてそんなふうに受け流されちゃうの?私の気持ち、どうして理解してくれないの?
「私、頑張ったのですわ!」
と大声で言いたかったが、その場の雰囲気に合わせて、素直に微笑むことにした。梨乃は自分の心が小さくちぎれていくような不安を感じながら、
「和真くん、本当に私のこと、何とも思ってないのですね」
と、自分を責めないように努めた。
和真は何気なく友達と話し続けている。彼のその表情を見上げながら、梨乃は強い思いを寄せていた。『もっと、自分の気持ちをちゃんと伝えないと』と、彼女の心には次第に熱い決意が生まれた。
美術の授業が再開されると、今度は合作の中で彼の描く場面を決めることになった。梨乃は自分の描きたい思いを形にすべく、必死でスケッチを続けた。
「和真くん、これをどう思いますの?」
と自信満々に描いた絵を見せると、和真はしばらくじっと見つめていた。彼は驚いた表情を浮かべ、
「ほんとに上手だね、黒川。すごい!」
と褒めてくれた。
その時、梨乃の内部で何かが爆発した。
「この瞬間、私の気持ちを伝えたい…」
そう願いを込め、深呼吸をした。絵を描くことで交わす言葉だけでは足りなくなってしまった。『このままじゃダメだ、もっと私を見て…。』と彼の前に一歩踏み出す。
「和真くん、実は……わ、私、大好きですの」
恐る恐る言った瞬間、周りの空気が一瞬止まった。仲間たちが驚いた顔をし、彼もまた一瞬目を大きく見開く。
「えっ?」
彼の返答はあまりにも純粋で。天然な彼には理解できない言葉になってしまった。
「黒川、冗談だよね?それ」
「冗談ではありませんことよ」
思わず心の声と共に再確認する。梨乃は心の中で叫ぶ
「和真くん、もう少しだけ私を見て」
完全に決意を固めた。
「だ、だから、和真くんのこと、特別に思っているのですわ」
彼は呆然としながら
「どうしてそんなこと言うの」
という表情を浮かべる。彼の無邪気さが、今はとてつもなく重く感じた。せっかく芽生えた本心が、彼の天然さに隠れてしまっているようだ。
内心では焦燥感が広がり、
「彼に告白するつもりだったのに、何で伝わらないの?」
という苛立ちを捨てきれなかった。彼の笑顔が永遠に思え、私は息が詰まってしまうほどだった。
「これじゃあ、私の気持ちが永遠に閉じ込められてしまうのでしょうか」
次の瞬間、和真がなんとか口を開いた。
「あ、大好きって…そういう意味だったんだね。ごめん、気づかなかったかも」
と、にこりと笑う。梨乃の心の中で大きな音がして、思わず胸が高鳴る。もし彼に告白が通じたのなら、次はそれをどう実現させればいいのだろう。
彼の笑顔を見て、私の心が救い上げられた、でもそれだけでは満足できない。私は、彼の傍で愛を育むことを強く願った。これを機に互いの距離が徐々に縮むのを信じたい。だが一方で、彼の天然さに心は不安に満ち、引き寄せようと奔走する自分の姿が痛々しい。
「また、私を見つめてほしいですわ」
心の底からの願いが込められた言葉は、彼に届いているのだろうか。彼にとっての特別な存在になることが、私の目的。因此、これからも彼のことを飽くなき気持ちで支えたいと決意した。
その日、二人交わし合った言葉は、今までの美術の授業と決定的に違う色を描いていくと感じた。梨乃は、彼との時間をもっと大切に思うようになった。彼の傍にいるために、彼を想うために、全力を尽くしたいと心に誓った。
私の持つ不安や思いは、これから私たちの関係の中で、ゆっくりと形を変えていくのだ。未来は見えないけれど、お互いを見つめ合うことで何か大切なものを創り上げていくと信じたい。彼との日々が輝けるものでありますように。
こうして、梨乃と和真のアート制作の中に芽生えたものは、彼女にとっての新しい道しるべとなった。恋の道は初めは難解でも、彼と並んで未来を描くその瞬間、心は確かに一つへと繋がっていく。
それを信じることから、全てが始まるのだ。